２９．ウィンヒルの風
その風景は、いつもと同じ。何十年も昔から、変わらぬ姿でそこにある。
風に揺れ、太陽の光を浴び、命を謳歌するように咲き誇る白い花。ここはウィンヒル・リノアルシェの群生地。
俺とリノアは、その真ん中に立っていた。
「帰って‥‥来た？」
「ああ‥‥帰って来た。」
俺達の生きる時代。俺の生まれた場所。ウィンヒルに。
「スコール、ハインは？」
リノアに問われ、俺は自分自身の中に耳を傾けた。
「もういない。時間圧縮魔法が解けると同時に、自分の時代へ戻ったみたいだ。」
するとリノアは、どこか寂しそうに目を伏せた。
「‥‥私、ハインに一つだけ、どうしても伝えたいことがあったんだけどな。」
「伝えたいこと？」
リノアは手の中の白い花を見つめている。彼女の母ジュリアから渡された花束だ。
「アルティミシア‥‥ミーシャの最期の言葉。魔女の力なんて欲しくなかったって、彼女は言っていた。私もその気持ちはよく分かる。少し前の私だったら、ミーシャと同じ考えだった。」
「今は、違うのか？」
リノアは花束をそっと胸に抱き、花畑の中をゆっくりと歩き出した。
「魔女の力を持つせいで、たくさんの辛い思いや寂しい思いをしてきたのは確か。それでも、今は心からこう思えるの。――魔女でよかった。この力のおかげで、たくさんの大切な人達と巡り会うことが出来た。私のお母さんにも、また会えた。」
ウィンヒルの丘に吹く風を、全身で受けるように両手を広げたリノアは、その空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「だから私は、これからこの力を大事にしていこうと思う。今までみたいに魔女であることに負い目を感じて、逃げ隠れするようなことはもうしない。ハインの力は、人の願いが生み出した人を守るための力。それならきっと、私のこの力も誰かの役に立てると思うから。遠い未来の世界で、ミーシャがアルティミシアにならずに済むように。魔女の力が、本来のハインの力になるように。私はその道を、探していきたい。」
振り向いたリノアの表情は、今の雲ひとつないウィンヒルの空のように晴れやかだった。
「とても難しいことだとは思う。私に、どれほどのことが出来るのかも分からない。だけど、今のこの正直な気持ちを、ハインに伝えておきたかったの。」
俺は頷いて見せた。
「伝わっているよ。リノアのその気持ち、ハインには伝わっている。俺が最後に感じたハインは、笑っていたように思う。少なくとも、もう悲しんではいなかったよ。」
「そう‥‥。それなら、よかった。」
リノアは安堵したように微笑んだ。
その時、遠くから人の声が聞こえた。俺とリノアの名前を呼ぶ声だ。
「いたーーーーーー！ホントにいた！」
「うおっ、マジかよ！レインママさんすげえ！」
「スコール！リノア！やっほ〜〜〜！」
「二人とも無事！？」
丘の上に、次々と人影が現れた。アーヴァイン、ゼル、セルフィ、キスティス。
駆け下りて来た彼らに、俺とリノアは取り囲まれた。
「よかった〜っ。もう会えないかと思った〜。アービンと二人、カッコ良くフェンリルの前に踏み止まったはいいけど、戦力分散させたのはマズかったかな〜ってちょっぴり後悔してたんだ〜。」
リノアに抱き付いたセルフィは、少し涙目だった。
「すぐに追い付くつもりだったんだけど、フェンリルの奴けっこう強くてさ。思いのほか手こずっちゃって面目ないよ〜。」
アーヴァインはバトル中に落としたのか、トレードマークであるテンガロハットを被っていなかった。
「二人が獅子のＧ.Ｆ.の背に乗って行ってしまった時はどうなることかと思ったけど、本当に無事でよかった‥‥」
結い上げた髪がほつれて肩にかかるのを払いのけながら、キスティスは大きく息をついた。
「ごめんな。ここぞという時にそばにいなくてさ。ったく、俺達ＳｅｅＤ失格だよな。」
ゼルは破れて肌ののぞくグローブをした手で頭をかいた。
俺は首を振った。
「それは違う。ゼル達が体を張ってＧ.Ｆ.を止めてくれたからこそ、俺とリノアはアルティミシアに会うことが出来たんだ。」
「会えたのね、アルティミシアに。それじゃ彼女は‥‥ああ、待って。詳しい話はあとよ。それより、早くあなたの元気な顔を見せて上げないと。」
「そうだね〜、っと。あ、来た来た。おーい、こっちこっち〜！」
セルフィは自分達がやって来た方向を向いて手を振った。
丘の上に、再び人影が現れた。俺の大事な家族。両親と姉、そして肉親に等しい二人の友人。
その姿を見て、俺はようやく心から自分の居場所に帰って来たのだと思えた。
「おかえり、スコール！リノアもおかえりなさい！」
駆け寄って来たエルオーネは俺に抱き付き、離れてすぐさま隣のリノアに抱き付いた。
「本当に無事でよかった。すっごく心配したんだから。」
「心配かけてごめんね、お姉ちゃん。」
リノアはエルオーネの背中を優しくさすった。
「まったく、心臓に悪い一日だった。寿命が２、３年は縮んだ気がするよ。」
キロスは苦笑気味に言ったが、隣のウォードの仕種を見て、今度はその笑みが皮肉めいたものになった。
「こんなスリルとサスペンスを味わわせてくれるのは、ラグナ君だけかと思っていたのに甘かった、とウォードは言いたいようだ。まあ、年寄りには久しぶりにいい刺激になったかな。」
ウォードはにこにこ笑いながら頷いている。
「どーいう意味だそりゃ。人聞きわりいなあ。」
「そのまんまの意味よ。ねえ？」
不満そうに言う親父に、母はさらりと答えて同意を求めるように俺に笑いかけた。
俺は両親の前に立った。
「よっ、スコール。ちゃんと無事に戻ったな。えらいえらい。」
「おかえり、スコール。ケガはないみたいね。よかった。」
俺の無事な姿に、二人が心から安堵しているのが分かる。心底心配させたに違いないと思うと、とても申し訳ない気持ちになった。
「心配ばかりかけて、ごめん‥‥」
すると２人は、きょとんとした顔になった。
「な〜に言ってんだ、スコール。親が子の心配するのは当たり前だろ〜。親に心配かけるのが子の仕事なら、子の心配するのが親の仕事ってもんだしなっ。」
「そうそう。でも我が家の場合、子の心配より一家の大黒柱の心配をすることの方が多いんだけどね。」
「そうそう。何しろいろいろと前科のある大黒柱様だかんな〜。わははっ。」
親父は愉快そうに笑った。
「それからスコール。ちゃんと伝えたからね、伝言。」
母はウインクして見せた。
「覚えていてくれたんだな、母さん。」
「実を言うとね、思い出したのはついさっきのことなのよ。ゼル達が未来世界から戻って来て――待っていた私達にしてみれば、時間は５分と経っていなかったんだけど、とにかく、時間圧縮魔法とかいうのが消えて何もかも元に戻ったらしいんだけど、スコールとリノアの姿だけが見えなかった。ゼル達はもちろん、ラグナなんて卒倒しそうなほどに青くなって、みんな大騒ぎになったんだから。」
「うんうん。マジで気ィ失いそうになったっ。」
親父は真面目くさった顔で頷いた。
「その時、本当に突然いきなり急に思い出したの。昔、このリノアルシェの花畑で出会ったお兄さんが言った言葉。『スコールはこの花畑にいる。そうラグナに伝えてくれ。』それで、お通夜みたいな雰囲気になったラグナ達を急き立てて、飛空艇飛ばしてここまで来たという訳。」
母は仕掛けたいたずらが成功した子供のように、楽しそうに笑った。
「それにしても、あの時のお兄さんとお姉さんが、スコールとリノアだったなんてね。なんだかとても不思議な感じ。」
どこか懐かしそうな目で、俺とリノアを見つめた。
リノアはおずおずと母の前に進み出た。
「あの‥‥レインさん。」
「ん？なあに？あ、その花。」
母はリノアが手に持つリノアルシェの花束に気付いた。
「そのリノアルシェの花、あの時ジュリアが渡した花束ね。また会おうねって約束のしるし。ジュリアとは会えなかったけれど、こうしてまたあなた達に会うことが出来たのは、あの子のおかげのような気がするわ。」
「‥‥そう、ですね。私も、そう思います。」
「おかえりなさい、リノア。本当に、よく帰って来てくれたね。」
母の言葉に、堪えきれなくなったようにリノアの目から涙が溢れ出た。
リノアは母に抱き付いた。そんな彼女を、母は何も言わず優しく抱きしめた。
「もう大丈夫だぞ、リノア。本当にお疲れさん。」
親父はリノアの背中を、ぽんぽんと優しく叩いた。
「さーて、積もる話はたっくさんあるけど、まずはやることやっちまおうっ。」
「そうだな。エスタへの報告と、バラムガーデンへの報告もあることだしな。」
キロスが言うと、親父はとんでもないというように目玉をぐるりと回した。
「な〜に言ってんだ、キロス君。これからやることと言ったらアレに決まってるだろーが。」
「うんうん、決まってるよね〜。」
「アレしかないよね〜。」
「約束だものね。」
「絶対だぜ！」
ゼル達は期待のこもった目で親父を見つめている。
そんな彼らに、親父はニヤリと笑みを返した。
「よーしっ！これから大宴会始めるぞー！ＳｅｅＤ諸君っ、全員俺んちに向かって走れーっ！」
「了解！」
号令をかけた親父の脇を、ゼル達は陽気な笑い声を上げながら駆け抜けて行った。
「まったく、君という男は。」
キロスは苦笑したが、半分は面白がっているように見える。ウォードのゼスチャーを見て頷いた。
「もちろん、私達だけでエスタに戻るつもりはないさ。主席補佐官殿から小言をもらう場には、ぜひ大統領にもご同席願わないとな。それに、久しぶりにレインの絶品なハーブティーを飲める機会を逃す手はないだろう。」
「ふふ、そこまで言われたら腕を振るわない訳にはいかないわね。あ、でもラグナはいらないんだっけ。」
「んん？なんでだよ、レイン。」
腕組みをした母は、意地悪く細めた目で親父を見上げた。
「確か、大っ嫌いなのよね〜、私が煎れたハーブティー。料理もお口に合わないようだし？」
「うごっ！？それってもしかして、ルナパンで俺が言ったこと怒ってんのか？あれは違うんだって。ぜーんぶ、て訳でもないんだけどほとんどウソだぞっ。それに、ハーブティーが大っ嫌いなんて言ってないっ。ちょびっと苦手なだけだーっ！」
親父はあたふたと弁明した。
ツンと横を向いた母だが、やがてぷっと吹き出し、楽しげに笑い転げた。
「いいわ。許してあげる。おかげであの時、正気に戻れた訳だしね。」
「は、はははは‥‥」
親父は見るからにほっとした様子だった。
「それじゃ、帰ろうか。ずっと留守にしてたから、宴会を始める前にまずは家の掃除をしないとね。」
「おうっ。あ、そうだキロス。」
親父はキロスを振り返った。
「エスタに戻ったら、閣僚のみんなを集めるよう手配してくれないか。」
キロスは訝しげに首を傾げた。
「今回の件についての報告か？それならわざわざ君が皆を召集せずとも、あとのことは我々補佐官が‥‥」
「いや、そうじゃない。それとは別に、エスタのみんなに話しておきたいことがあるんだ。」
親父は間を置くように、一呼吸ついた。
「今回の事後処理のごたごたが片付いたら、俺は大統領職からの退任を表明する。」
「なっ‥‥」
親父の言葉にキロスが驚いたのはもちろんのこと、その場に残っていた全員が仰天した。
「どういうことだ、ラグナ。今回の一連の出来事に関して、君が犯した失策などない。職を退く必要がどこにある。」
途端に厳しい表情になり、キロスは強い口調で言った。
そんな彼をなだめるように、親父は軽く両手を上げて見せた。
「なんか失敗をやらかしたから辞めるんじゃねえよ。前からずっと考えてたんだ。もうそろそろ、いいんじゃねえかなーってさ。」
親父はぽりぽりと頭をかいた。
「自分の家族をほったらかしにして、もう１７年だぜ？そりゃ大していい大統領じゃなかったけど、俺なりに精一杯やって来たつもりだ。受けた恩の分は、十分返せたと思うんだ。」
「ラグナ‥‥もしかして、あの時私が言ったことを気にしているの？それなら、ごめんなさい。あれは、つい勢いで口に出てしまっただけで‥‥」
言い淀む母に、親父は笑って首を振った。
「違うんだ、レイン。レインの気持ちは分かってる。レインがああ言ったからじゃない。俺が、うちに帰りたいんだ。俺は帰りたい。俺の家族のいる場所に、帰りたい。」
親父は、母、エルオーネ、そして俺の顔を１人１人見つめていった。
口を開きかけたキロスはその言葉を飲み込み、やがて諦めたようにため息をついた。
「エスタが、そう簡単に君を手放すとは思えないがな。」
「何も今日明日にも辞めるって訳じゃねえんだ。じっくり説得するさ。」
親父は肩をすくめた。
「‥‥まあ、とりあえず副大統領と主席補佐官だけでも説得出来れば、あとは彼らがうまくやってくれるだろう。私も、君を支持する。」
隣のウォードが大きく頷いた。
「ウォードも私と同意見のようだ。」
「キロス‥‥ウォード。ごめんな。でも、ありがとう。」
キロスは親父の二の腕をぽんと叩いた。次いで、ウォードが背中をバシンと叩く。
「では、私達は先に行くぞ。ＳｅｅＤ達と家の片付けを始めていよう。」
キロスは軽く手を振り、ウォードと並んで丘を下って行った。
「本当にいいの？ラグナ。」
２人の後ろ姿を見送りながら、母は隣に立つ親父に訊いた。
「ああ、もちろん。もう決めた。」
親父の横顔に一点の迷いもないことを見て取った母は、微笑んで頷いた。
「分かった。ラグナがそう決めたのなら、私は何も言わない。あなたが帰って来る日を、ここで待ってる。」
「うん。私も待ってるからね、お父さん。」
「ありがとなっ、レイン、エルオーネ。」
嬉しそうに笑った親父は、伺うようにちらりと俺を見た。
その視線に気付いたリノアが、俺の腕を軽く突付いた。
母とエルオーネまでが俺に注目している。どうやら俺の言葉を待っているらしい。やれやれ‥‥。
「‥‥俺も、待ってるから。」
「おう！ありがとな、スコールっ。ぜーーーーーったい、帰って来るかんなっ。いざとなったら置き手紙一つ残して飛び出して来てやるっ。」
「お父さん、それなら前にもやってるじゃない。」
「あれ、そうだっけ？そういや、そんなことをしたような気がしないでもないな。わははっ。」
親父は陽気に笑った。母とエルオーネも笑っている。本当に、心の底から楽しそうに。
「さあ、帰ろ。お客様達に家の掃除をさせておく訳にはいかないものね。あと、買い出しにも行かないと。」
「物置から秘蔵アルバムと秘蔵フィルムを引っ張り出さないとね。ゼル達が楽しみにしてるはずよ。」
「秘蔵フィルム・エスタ編をキロスの家から持って来れなかったのが残念だなあ。あれは我が家の最高傑作なのに。」
笑いさざめき合い、花畑の中を歩いて行く家族達。その後ろ姿を見送りながら、俺は胸の中に熱いものが込み上げてくるのを感じていた。
「ありがとう、リノア。」
俺の言葉に、リノアは不思議そうに振り向いた。
「どうしたの、急に？」
「リノアは俺に言ってくれたよな。俺達家族の平穏な毎日を取り戻して見せるって。約束、守ってくれてありがとう。」
リノアは慌てたように首を振った。
「そんな、お礼を言われるようなことは何も。でも‥‥」
歩いて行く三人の後ろ姿を、眩しそうに見つめる。
「よかった。本当に、よかったね‥‥」
「今度は、俺の番だ。」
「え？」
「俺も、手伝うよ。」
「え‥‥」
「リノアが心に決めたことを、叶えるために。」
「‥‥」
リノアはどこか放心したような表情で俺を見た。
「あ、いや、手伝うといっても俺に何が出来るという訳でもないし、具体的にどう手伝うのかなんて言えないんだが、でも。」
取り繕うように言ったものの、途中で言葉に詰まってしまった。なんとも格好が悪い。
「‥‥でも、リノアの願いを実現させるためにはどうすればいいのか、これから何をしていけばいいのか、それを一緒に考えることは出来ると思う。だから‥‥」
見ると、リノアはリノアルシェの花束に顔を埋めていた。
「リノア？」
「嬉しい‥‥。今のスコールの言葉、最高に嬉しい。」
顔を上げたリノアの表情は、降りそそぐ穏やかなウィンヒルの陽射しを受けて輝いて見えた。
俺はリノアの手の中の花束を見つめた。
「‥‥昔、この花畑で出会った少女達が交わした約束は、長い歳月を経て、今日ようやく果たされた。そんな気がするんだ。」
「うん‥‥そうだね。」
「だから、俺とリノアの約束も、いつかきっと必ず果たせる日が来る。俺は、そう信じる。」
「スコール‥‥」
今にして思えば、すべてはこのリノアルシェの花が始まりだったように思う。
俺とリノアの出会いにも、レインとジュリアの出会いにも、そこにはこの小さな白い花があった。
リノアは花束の中から一輪取り出すと、それを俺に差し出して微笑んだ。
「あなたがいてくれて、本当によかった。」
リノアルシェを受け取った俺は、眩しいほどに白い花を見つめた。見慣れたはずのこの花が、今はとても懐かしく感じられる。
ウィンヒルの柔らかな風が、花畑の上を駆け抜けた。
風にそよぐ小さな白い花は、今も昔も、そしてこれからも、いつまでも変わらず、ここに咲き続ける――。
−ＥＮＤ−