しばらく進むと、小さな扉に行き当たった。先頭で辿り着いたゼルは、その扉を躊躇なく開けて中へ踏み込んだ。
「――うおっ！」
ゼルの姿が突然消えた。
「ゼル！？」
色を失った俺達が駆け寄ると、扉の先は何もない空間だった。すぐ真下には霧に霞んだ谷底が見える。
「おおーいっ、ひ、引っ張り上げてくれーーっ！」
ゼルは廊下の縁に、片手一本でかろうじてぶら下がっていた。
腕を掴み、三人がかりでゼルを引き上げた。
「び、び、びびった〜。マジで死ぬかと思った‥‥」
廊下に座り込んだゼルは冷や汗をぬぐったが、こっちだって心臓が止まりそうなほどに驚いた。
「もう少し慎重に行動しなさい、ゼル。こんな単純な罠にかかるなんて、ＳｅｅＤ失格よ。」
キスティスにたしなめられ、ゼルは引きつった笑いを浮かべた。
「へへへ、面目ねえ。ちょーっと勇み足しちまったな。しっかし、ここで行き止まりかよ。どうすりゃいいんだ？」
問題はすぐに解決した。扉の外の壁に梯子があるのを発見した。
落ちれば命はないその梯子を、俺達は順に登り始めた。
「アルティミシアもこの梯子を昇って行ったのか？」
下を覗き込んだゼルは、見ては行けないものを見たとばかりに慌てて目線を戻した。
「どうかしら。彼女、空間を移動する不思議な術を使っていたようだし‥‥上！」
キスティスの緊張した声に視線を上げると、上空を羽ばたきながら舞う一匹のモンスターの姿が見えた。いや、ただのモンスターではない。恐らくは先程のフェンリルと同じ、Ｇ.Ｆ.の一種に違いない。
「あの形‥‥あれは確か、Ｇ.Ｆ.『ディアボロス』！」
キスティスは叫んだ。
闇色の大きな翼を広げた人型のＧ.Ｆ.。悪魔、としか形容しようのない不吉な黄泉の使者が、俺達を見下ろしていた。
こんな身動きのとれない場所で襲われてはひとたまりもない。成す術なく黒いＧ.Ｆ.を見上げていると、突如ゼルが雄叫びを上げた。
「うおおおお！上等だぜ、アルティミシア！相手になってやらあ！来い！Ｇ.Ｆ.『イフリート』！」
振り上げたゼルの拳の先に赤い霧が発生し、その中から赤い悪魔が現れた。猛々しい巌のような顔をした、雄雄しく堅固な体躯の赤の巨人。
「行っけえ！インフェルノ！」
ゼルの叫び声に呼応して、両の手の中に巨大な炎を出現させた巨人は、それをディアボロスに向かって投げつけた。
避けようとしたディアボロスだが、炎の塊は突如爆散して血飛沫のように広がり、逃げ場を失ったディアボロスを覆い込んだ。
しかし、炎に焼き尽くされるより一瞬早く、ディアボロスは翼を広げたままきりもみ状態に高速回転し、生じた風圧で炎を消し飛ばした。
イフリートがディアボロスの相手をしている隙に、俺達は残りの梯子を登り切った。
一番に回廊の屋上へ辿り着いたキスティスは、息を整える間もなく自らのＧ.Ｆ.を呼んだ。
「Ｇ.Ｆ.『シヴァ』、力を貸して！」
誘われるようにして滲み出した青い霧から、しなやかな肢体の女性が現れた。その肌は透きとおるような美しい青で、揺らめく長い髪は鋭利な刃を思わせる鋭さがあった。
「ダイヤモンドダスト！」
優雅な仕草で舞い上がったシヴァは、広げた両腕の空間に空気を結晶化させるように青白い氷の剣を作り出し、それをディアボロス目掛けて放った。
氷の剣は無数の氷塊の刃となり、ディアボロスを貫いた。
「やったか！？」
「いえ、まだよ！」
ガッツポーズを取りかけたゼルを、キスティスは制した。
一瞬ぐらりと傾いたディアボロスだが、すぐさま態勢を立て直した。怒りのためか、激しく燃え狂うばかりに赤く光る目が俺達を捉えた。
「来るぞ！」
「待って！別の何かが来る！」
前方のディアボロスにだけ集中していた俺達に、リノアは叫んで注意を促した。
後方から、空を駆けるように迫るＧ.Ｆ.の姿があった。
百獣の王に似た四肢の獣。剣の牙と鋼の鉤爪を持ち、燃え盛る炎をまとったかのような鬣をなびかせている。
「くそっ、また新手かよ！アルティミシアの奴、一体何体のＧ.Ｆ.をジャンクションしてやがるんだっ。」
ゼルは前後に素早く目をやりながら拳を構えた。
しかし、新たに現れたそのＧ.Ｆ.に、何らかの敵対行動を起こすような素振りはなかった。ただ遠巻きに、周囲を旋回するだけだった。
「通常、１人の人間がジャンクション出来るＧ.Ｆ.の数は１体のはずよ。それ以上は本人への負荷が強すぎて、肉体的にも精神的にも耐えられないはずなのに。いくら魔女とはいえ、こんなことを続けていたら‥‥」
キスティスは宙を駆ける四つ足のＧ.Ｆ.を見ながら、疑問を呟いた。
「その話なら聞いたことがある。以前、オダイン達も複数のＧ.Ｆ.をジャンクションする方法を研究していたらしいが、結局は不可能と判断されて開発計画も放棄された。この未来の世界では、それが実現可能となっただけなのかもしれないが、あるいは――」
「あるいは、その危険性を承知で無理を押し通すほど、アルティミシアは必死なのかもしれない。」
リノアは俺と同じ考えを口にした。
事態を静観するように飛び回る四つ足のＧ.Ｆ.とは違い、ディアボロスは俺達目掛けて滑空して来たかと思うと、赤黒いガスのような気体を吐き出した。
「ウォール！」
一瞬早くキスティスが防御魔法を唱え、その得体の知れない攻撃を防いだ。
「スコール！肩貸せ！」
言うや、驚くほどの身軽さで俺の肩に飛び乗ったゼルは、一蹴りして高く舞い上がった。
合わせた両の掌に気を集中させ、気功弾を作り出したゼルがそれを放つと同時にイフリートが炎を吹いた。
「食らえ！バーニングレイヴ！」
イフリートの火炎をまとった気功弾はディアボロスに命中し、その黒い翼の片翼を焼き尽くした。
「よっしゃ！」
ゼルはガッツポーズを取りながら着地した。
失速したディアボロスは、逆上したようにこちらへ向かって来る。
俺はガンブレードを構え、トリガーに指をかけた。
「ブライン！」
キスティスの魔法が暗闇を作り出し、ディアボロスの視界を妨げた。
目標を見失ってスピードを落としたディアボロスに、通り過ぎ様トリガーを引きながらをガンブレードを叩き込んだ。
弾薬が爆発する振動が刃に伝わり、通常の斬撃の何倍もの威力を発揮する。これがガンブレードの真の使い方だった。
まともに斬撃を浴びたディアボロスは、耐えかねたように悲鳴に似た奇声を上げながら空へと離脱した。
その姿を見送ったキスティスは、軽く息をついた。
「敵は退散したようね。とどめは刺せなかったけれど、これ以上の障害とならなければ放っておいて構わないと思うわ。」
「でも時間食っちまったな。とにかく先を急ごうぜ――」
気が緩んだところに、不意を突かれた。
存在を忘れかけていた獅子の姿のＧ.Ｆ.が、音もなく突っ込んで来た。その凄まじい勢いに、全員が弾き飛ばされた。
落ちる――そう思った時、冷たい手が俺の腕を掴んだ。見上げると、俺を掴まえてくれたのはＧ.Ｆ.シヴァだった。
獅子のＧ.Ｆ.に跳ね飛ばされた時、かなりの衝撃があったはずだが、キスティスがかけていたウォールの効果で大したダメージを受けずに済んでいた。
見ると、ゼルはイフリートに助けられ、キスティスはかろうじて回廊の上に留まっていた。
俺はハッとした。リノアは！？
リノアは無事だった。だが彼女が落ちた先は、あの獅子のＧ.Ｆ.の背中の上だった。そして獅子のＧ.Ｆ.は、リノアを乗せたままこの場を離れようとしていた。
偶然、あの上に落ちるとは考えられない。まさか、あのＧ.Ｆ.の狙いは最初からリノアだった？
「キスティス！シヴァを借りるぞ！頼む、シヴァ。あのＧ.Ｆ.を追ってくれ！」
シヴァは無言のまま、俺の頼みを聞いて獅子のＧ.Ｆ.のあとを追いかけた。
そのシヴァの前に、逃げ去っていたはずのディアボロスが舞い降り、進路を塞いだ。
「邪魔をするな！」
「てめえの相手はこっちだ！もう一度食らいやがれ！バーニングレイヴ！」
ゼルとイフリートの攻撃にディアボロスが怯んだ隙に、その脇をすり抜けた。振り返ると、ゼル達は体を張ってディアボロスを食い止めてくれていた。
彼らの行為に心の中で感謝しながら、獅子のＧ.Ｆ.のあとを追いかけた。
シヴァは相手のスピードを遅らせようと、威嚇の冷気魔法を放った。
Ｇ.Ｆ.の背中にしがみついていたリノアが、それに気付いて振り向いた。表情はやや青冷めているが、怪我はないようだった。
「待ってろ、リノア！今助ける！」
だが驚いたことに、リノアは首を振った。
「――いいの！このＧ.Ｆ.はきっと、私をアルティミシアの元へ連れて行ってくれるはず。このまま、行ってみる！」
俺はためらった。リノアの考えは正しいかも知れない。だが、危険な賭けであることも確かだ。
「シヴァ、もっと奴に近付いてくれ！」
考えている暇はない。
シヴァが最も接近した瞬間、俺はシヴァの手を離し、獅子のＧ.Ｆ.へと飛び移った。
距離は届いたものの、勢い余って転げ落ちそうになるところをリノアに腕を掴まれた。
「シヴァ、あとはもういい。キスティス達のところへ戻れ！」
ためらいがちに頷いたシヴァは、長い髪を軽やかに翻して戻って行った。
乗客が１人増えたことを意に介した様子もなく、獅子のＧ.Ｆ.は飛行を続けた。
リノアに引っ張られるようにして、Ｇ.Ｆ.の背中に這い上がった。
「ありがとう、リノア。助かった。」
「まったく、無茶ばかり、するんだから‥‥」
俺の行動に驚かされたらしいリノアは、喘ぐように言った。
「それはお互い様だろ。アルティミシアのもとへ１人で乗り込もうとするなんて。」
言い返すと、リノアは肩をすくめて苦笑した。
「ごめんなさい。でも、アルティミシアが私を呼んでいるのなら、行かなきゃならないと思ったの。それに、私も彼女に会いたい。彼女が何を考えているのか、本当の目的はなんなのかを知りたい。」
確かに、初めて対峙した時のアルティミシアの言動は、気になるものばかりだった。その真意を見極めるには、本人と直接相対するほかにないだろう。
「だが、危険だぞ。この先何が起こるか分からない。」
「承知の上よ。スコールこそ大丈夫？」
「もとより承知だ。危険だろうがなんだろうが、俺はリノアが行くところならどこへだって行く。」
「‥‥」
リノアは目を丸くして、俺の顔を見つめた。
「どうかしたか？」
「う、ううん。スコールって、時々不意にびっくりするくらいストレートな物言いするから驚かされちゃって‥‥」
「あ‥‥」
そういえば、昔エルオーネにも言われたことがある。こんな風に、無意識に思ったことをポロッと口に出してしまうところはお父さん譲りだね、と。
こんなやっかいなクセ、似なくてよかったのに。
「キスティス達は大丈夫かな。」
リノアはちらりと後ろを振り返った。
「新型Ｇ.Ｆ.もついていることだし、心配ないだろう。それに、あいつらはＳｅｅＤだ。逆に向こうが俺達のことを心配してると思う。リノアには魔女の力があるからまだいいが、俺はただの民間人に過ぎないからな。本当は俺なんかがついて来るよりも、ゼルやキスティスがいた方がよほど頼りになったはずだ。」
「そんなことない！」
リノアは驚くほどの強い口調で否定した。
「スコールは頼りになる人よ。私を宇宙から連れ戻してくれたし、自分から封印されようとしていた私を止めてくれた。今だってこうして、危険を承知で追いかけて来てくれた。スコールは‥‥」
俺の戸惑ったような視線に気付き、リノアは慌てて正面を見据えた。
「‥‥ありがとう。一緒に来てくれて。」
「あ、ああ。」
リノアが真っ赤になって俯くので、こっちまで釣られて赤くなってしまった。こんな状況だというのに、我ながら何をやっているんだか。
不意に、リノアが真顔に戻って顔を上げた。
「‥‥近い。」
「アルティミシアか？」
リノアは頷いた。
獅子のＧ.Ｆ.の行く手に、渦状に広がる深い闇色の霧が見えた。
見るからに不吉なその黒い霧に、獅子のＧ.Ｆ.はまっすぐに飛び込んだ。
そして、俺の意識も闇に溶けた。
２７．ガーディアンフォース
誰かが、名前を呼んでいる気がする。
その声はリノアのようでもあり、父のようでもあり、母のようでもあり、姉のようでもある。
いや、それだけじゃない。キロスやウォード、ゼル、セルフィ、キスティス、アーヴァイン‥‥俺を取り巻くすべての人々の声のような気がする。
目を開けようとしても、瞼は異様に重く開かない。夢だと分かっているのに、覚めることが出来ない眠りの中にいるようだ。
『――もう、起きた方がいい。しっかり意識を保たないと、お前自身が時の砂に飲み込まれ、闇に溶け入ることになる。‥‥さあ、早く。』
声に励まされ、ようやく目を開けることが出来た。
そして、目の前に広がった光景に、朦朧としていた俺の意識は一瞬ではっきりした。
そこは、見渡すばかりの灰色の砂漠だった。空は鉛色に塗り潰され、日の光はひと筋も見えない。それどころか、周囲には風もなく音もなく、匂いさえ感じない。
感覚まで麻痺したのか、この明らかに異常な光景に恐怖さえ感じなかった。
『自分を保て。飲み込まれないように。』
また声が聞こえた。誰なんだ？
『私を探している者がいる。私は私を探す者を探している。そして私は、お前を見つけた。』
俺を？なんのことだか分からない。俺は誰も探してなんかいない。俺は‥‥
‥‥そうだ。俺も探していたはずだ。リノアを、見つけなければ。
しかし、ここはどこなんだ？今、俺がいる場所はなんなんだ？
『ここは時の吹き溜まり。圧縮された時間の果てにある場所。』
ガン！と頭に重い一撃をくらったような気がした。
ここが‥‥時間圧縮世界。俺達は、止められなかったのか。
『まだ、この世界は完成していない。今ならまだ、間に合う。お前次第だ。』
俺‥‥？どういう意味だ？
『お前の探す者は、私を探す者とともにいる。お前は私を、その者達のもとへと導く。』
訳が分からない。分からないが、今は考えている暇もない。
時間がないことは分かっている。それにリノアを見つけろと言うのなら、言われなくてもそのつもりだ。
歩き出そうとしたが、足に根が生えでもしたようにそこから一歩も踏み出せなかった。
くそっ、どうなっているんだ。なぜ動けない。
『ここは時間圧縮の果てにある場所。すべての流れは止まり、何物も動かない。』
冗談じゃない。こんなところで銅像のようにただ突っ立って、すべてが終わるのを待つなんてごめんだ。
『私の力を、お前に貸そう。』
すると、何か暖かなものが、身の内から沸き起こるのを感じた。
ようやく、足が一歩前に出た。さらに、一歩。もう一歩。
一歩一歩に渾身の力を込めて歩き続ける。この先にいる、俺が探す者のもとへ向かって。
とてつもなく長い距離を歩いたような、あるいはほんの２、３歩の距離だったような、そんな判然としないまま、気付いた時には砂漠の終わりにいた。
唐突に砂漠は途切れ、先に広がるのは真っ黒な世界。ここに来る直前に見た、あの闇の霧に似ていた。
この先に、彼女がいる。
もちろん、なんの根拠もない。ただ、心が感じる。それだけだ。
あと一歩踏み出すだけ。なのに、そこでまた動けなくなった。
もし、間違っていたら。
そう思った途端、突然膨らんだ恐怖心に体は金縛りになり、頭の中は真っ白になった。
「根拠のない自信、大いにけっこう！そういう時は迷わずドーンっとぶつかってみろ！俺もそうやって幾多の危機を(大体は)乗り越えてきたっ。迷うな、行け！」
聞き覚えのある懐かしい声。その声が恐怖心を消し去った。
見えない手に背中を叩かれるようにして、闇の中へと最後の一歩を踏み出した。