１５．ラグナロク、飛翔
月からこぼれ出た想像を遥かに超える数のモンスター達は、宇宙空間を突き抜け真向かいの星に降り注いだ。
月の涙によって生じる衝撃波で、ルナサイドベースは建物全体が大きく揺れ始めた。
「急いで射出場へ！遅すぎると月の涙の流れに巻き込まれて脱出が不可能になってしまう！」
ピエットが狂ったように急き立てたが、俺とエルオーネはその場から動かなかった。
「過去からじゃリノアを助けられないわ、スコール。」
エルオーネは静かに言った。
「過去は変えられない。だけど、未来なら変えられるはず。そして、リノアを助けられるとしたら、それは現在＜いま＞しかない。」
助けるのは今。忘れ去られた思い出のように、宇宙に１人取り残されたリノア。
今、俺が出来ることは、たった一つだ。
立ち上がり、部屋の出口へと向かう。ドアの手前まで来た時、親父に腕をつかまれた。
「どこへ行くのかな〜？」
こんな時だというのに、親父の口調は妙におどけていた。
「リノアを助けに行く。」
それを聞いて血相を変えたのはピエットだった。
「宇宙へ出るつもりか、スコール君！？よせ！もう月の涙が始まってしまった。今から外に出るなど自殺行為も同然だ。君まで助からないぞ！」
「俺はリノアを助けに行く。その手を離してくれ、親父。」
「お前ね〜、いつも言ってるだろ。そういうコワイ顔してるとせっかくの男前が台無しだって。‥‥あ〜ピエット、宇宙服の発信器をモニターしてくれないか？」
「な、なんですって？」
ピエットは信じられないという風に聞き返した。
「ここの宇宙服には全部、万が一宇宙で遭難した時のための救助用発信器が付いてるだろ？それをモニターすれば、リノアって子がどこにいるか一発で分かるじゃねえか。」
「大統領！？」
「なあ、頼むよ。こいつがこんな目をしてる時は、どうせ止めたってぜーったいに聞きやしないんだから。な？」
最後の、「な？」という言葉は、エルオーネに向けたものだった。エルオーネはクスクスと笑って頷いている。
ピエットは不承不承ながらも親父の指示に従ってパネルを操作し、リノアの位置を割り出した。リノアは月の涙の余波に吹き飛ばされたらしく、ルナサイドベースから遠ざかりつつあった。
一秒たりとも無駄に出来ない。管制室から飛び出そうとした俺の肩を、再び親父がつかんだ。
「レベル２のメンテナンス室横のサブドックにから外に出ろ。あそこにあるジェットボードを使えば早く追いつけるぞ。」
「分かった。‥‥ありがとう、親父。」
「おっ、めずらしく素直だな〜。あとのことは大丈夫、まかせとけ。いいか、スコール、お前は絶対に死なない。リノアって子もきっと救える。何も心配いらないから思い切り行って来い！」
勢いよく背中を叩かれ、俺は走り出した。
俺は死なない。リノアも救える。その言葉を呪文のように心の中で繰り返しながら、真っ暗な宇宙空間へと飛び出した。
宇宙でのもっとも簡単な移動機械であるジェットボードを使って、俺はリノアを追いかけた。ルナサイドベースからずっと離れた場所に、ぽつんと漂う白い点を見つけた。リノアが着ていた宇宙服の色だ。
リノアまであと１０ｍというところで、ジェットボードの噴射が切れた。燃料切れか故障か、それを確認している余裕すらない。
俺は使い物にならなくなったジェットボードを捨て、あとは自分の力でリノアに追いすがった。
一度目に手を伸ばした時は、空をつかんだ。二度目は指先がわずかにかすり、三度目にやっとリノアをつかまえた。
「リノア？大丈夫か、リノア！？」
ヘルメットの奥から、リノアがジッと俺のことを見返している。何も言わない。
俺は不安になった。今のリノアはリノアのままなんだろうか。それとも‥‥。
「バカ！」
突然、リノアは言った。怒ったような声だ。
「リノア？」
「どうして来たのよ、バカ！こんなところまで追いかけて来るなんて本当にバカよ！大バカよ！」
「なっ、人の顔を見るなりバカバカって‥‥」
さすがにムッときたが、同時にいつものリノアだと分かって内心ホッとしていた。
「‥‥どうして来たの？私のことなんて放っておいてくれればよかったのに。私のせいであなたまで‥‥」
「俺は死なない。リノアもだ。俺達は２人とも助かる。」
酸素の残量はあとわずか。ジェットボードも使えない。後方にあったルナサイドベースは月の涙に飲み込まれ、すでに宇宙の藻屑と消えていた。
俺達が虚空の漂流者になるのは確実のこの状況で、それでも俺は、自分の人生がここで終わったりはしないと、ある種の確信のようなものを抱いていた。
「スコール‥‥何か近付いて来るわ。」
リノアの声で振り返ると、巨大な赤い金属の塊が俺達の前にゆっくりと降りて来た。それは鋭角的なフォルムの飛空艇だった。
「何なの‥‥これ？」
「赤い飛空艇‥‥ラグナロク。」
『ちわーっす！こちらは宇宙タクシーで〜す！お客様二名、お迎えに来ました〜！』
底抜けに明るい声が、通話機から聞こえた。
俺達はラグナロクに回収された。エアロックで宇宙服を脱ぎ捨て、通路に出た途端、リノアはその場にペタンと座り込んだ。
「リノア、どうしたんだ！？」
「ご、ごめんなさい、急に力が抜けちゃって‥‥。今頃になって恐くなってきたのかな。おかしいよね。」
リノアは慌てて目をこすっている。俺も彼女の隣に腰を下ろした。
「‥‥宇宙を漂っている時はね、全然恐くなかったの。このまま死ぬのかなって漠然と思うだけで、怖さも寂しさも何も感じなかった。ただ寒かった。でも、死を身近に感じる一方で、私は死なない、まだ生きられる、っていう思いもあった。多分‥‥いいえ、きっと必ず、スコールが‥‥来てくれるって。」
「そしてその第一声が、バカ！という訳だな。」
「あっ、それはえっと、その‥‥だってホントにそう思ったんだもの。スコールの顔を見た時、驚くより先に呆れちゃった。ホントに来た！こんなとこまで！自殺行為だって分かってるのかなこの人！ってね。」
まだ言うか。俺が睨むと、リノアはさっきまでとはうって変わって心底楽しそうに笑った。
「ありがとう、スコール。助けに来てくれたこと、本当に嬉しかった。言葉では言い表せないくらい、嬉しかった‥‥でも。」
その笑顔がスッと消え失せた。
「‥‥私なんかを助けたのは、やっぱり間違いよ。」
辛そうに言うリノアの横顔は、とても痛々しいものだった。
１６．ラグナロクから見える星
「ふ〜ん、なるほどねえ。それでエルに会うために、はるばる宇宙まで来たって訳か。」
飛空艇ラグナロクのコックピット。たった今、これまでの事情を親父とエルオーネに話し終えたところだ。２人の一番の関心事は、当然のことながら母の安否についてだ。
「私がキロスとウィンヒルを出たあとも、いろいろ大変だったのね。お母さん‥‥大丈夫なのかしら。」
「すまない。俺がもっとしっかりしていれば‥‥」
「な〜にくよくよしてんだ、スコール。こうなったのは自分のせい、とか思ってんじゃねえだろうな？お前にはなんの責任もない。ウジウジ悩むな。背中が曲がるぞっ。」
親父は力まかせに俺の背中を叩いた。
「大丈夫だ。レインなら心配いらねえよ。いざという時のタフさは俺以上だぞ。きっと無事でいるって。」
なんの根拠もない言葉だが、親父が口にするとそうに違いないと思えてくるから不思議だ。心が少し軽くなった気がする。
「レインは絶対必ず何があっても取り返す。あちらさんの狙いがエルなら、いずれ向こうから接触してくるだろうしな。えっと、なんてったっけ、サンバー？」
「サイファーだ。」
「そそ。そのサイファーって野郎、とっつかまえたら絶対一発殴ってやるっ。エルを追い回すわ、レインをさらうわ、お前の顔を傷モノのウォード２号にしてくれるわ、やりたい放題もいいとこだ。俺達家族にケンカ売ったことをイヤってほど後悔させてやるかんなっ。」
コックピットのドアが開き、ラグナロクの機関室から戻ったピエットが入って来た。エンジン部の調整が終わったらしい。
この飛空艇ラグナロクは、アデルを封印した時にその封印装置、いわゆるアデルセメタリーを宇宙へ打ち上げる際に使われたものだった。同型機が他に２機あり、３機がかりで宇宙へ運んだのだが、この１機だけはエンジントラブルで動かなくなり地上へ帰れなくなった。
その後修理は済み、再び動くようになったものの、また宇宙で必要になる時があるかもしれないとして、そのままそこに置かれることになったらしい。そして以後１７年間、結局一度も使われることなく宇宙に置きっぱなしになっていた、という代物なのだ。
ちなみに、ラグナロクという名前は親父の名前から取ってつけられたもの、ではないらしい。飛空艇に自分の名前をつけるような自己顕示欲はさすがにないようだ。‥‥しかしそうなると、エスタ国内でティンマニを配っているのはどういう了見なんだかな。
「どーだ、俺の点検の明は〜。見事にこのラグナロクが役に立つ日が来ただろう。」
「先見の明、だ。」
子供っぽく威張る親父に、キロス並みのツッコミを入れておく。しかし先見の明も何もこれは単に飛空艇を回収するのが面倒で、ほったらかしにしていた結果という気がする。
「私ですらこのラグナロク１のことはすっかり忘れていましたよ。大統領がスコール君を宇宙へ出て行かせた時、なんて無謀なことをさせるんだと思いましたが、この飛空艇があると分かっていたからなんですね。」
「当ったり前だろ。なんの救済措置もなく、かわいい我が子を宇宙に放り出すかっての。で、首尾はどうだ？エスタに帰れそうか？」
「なにせ１０年以上も放置してあった機体ですから多少の調整は必要ですが、なんとか地上には帰れそうですよ。あとはメインコンピューターのプログラムを微調整すれば、大気圏に突入出来ます。もうしばらく待って下さい。」
ピエットはメインモニターの前に座って操作を始めた。
ラグナロクのことはピエットにまかせて、俺達は話を続けた。
「いろいろ動いているのは確かにサイファーだけど、真の黒幕は別にいるんだ。奴は魔女の操り人形みたいなものだと思う。」
「未来の魔女、アルティミシア、か。ま〜た魔女に悩ませられることになるとはな。」
親父はやれやれと言いたげに頭を振った。そんな親父を見てエルオーネが肩をすくめる。
「我が家は魔女と切っても切れない縁があるのかもね。」
「まあな〜。こりゃ末永くお付き合いするっきゃねえかな。‥‥そういえば、あの女の子はどうしてんだ？」
「リノアなら下の客室にいる。しばらく１人にしてくれと‥‥」
「魔女、なんだな、あの子は。そうだろ、スコール？」
俺は無意識のうちに体が強ばるのを感じた。
「‥‥」
「そっか‥‥」
俺の無言を親父は肯定と受け取った。
「リノアは‥‥自分を助けたのは間違いだと言っていた。」
「お前もそう思ってるのか？」
「思うはずないだろう！確かにリノアは魔女かもしれない。アデルの封印を解いたのも彼女だ。けどそれはアルティミシアに操られていたからで、彼女のせいじゃないんだ！魔女だからって、それがすべて悪い訳じゃない！」
「落ち着けって。お前が興奮してどうする。ちゃんと分かってるよ。」
感情の押さえが効かなくなった俺を、親父はなだめた。
「魔女の全部が全部、悪い奴ばかりじゃない。魔女の存在自体が悪じゃないって、前にお前に話したよな。アデルみたいなのが特別で、大抵の魔女は普通の人と同じように、静かに平和に暮らしてきたんだ。」
「リノアは悪くない。」
「そうだ。だったらそれを彼女に言ってやれよ。」
親父は俺の顔を覗き込んで、ニッと笑った。
「でも今は１人になりたいって‥‥」
途端にエルオーネから、コツンと後頭部を小突かれた。
「こんな時に１人きりでいるのが、どんなに心細いか分からないの？女心が分かってないんだからなあ、もう。」
「しょうがないって。スコールはお子ちゃまなんだから。ホレ、行った行った。」
エルオーネと親父に追い立てられるようにして、俺はコックピットから出た。迷った末、リノアのいる客室へと向かった。
リノアは一番前の席で、膝を抱えるようにして座っていた。俺が入って来たことに気付いても振り向こうともしない。俺はかける言葉を見つけられないまま、バカみたいに突っ立っていた。
「きれいね、宇宙って‥‥。こうして眺めていると、時間が経つのも忘れてしまう‥‥」
長い沈黙のあと、リノアは呟いた。
「星の数を数えてみたことってある？ずっと昔、まだお母さんが生きてる頃、お母さんとお父さんと私の家族３人で、一緒に空の星を数えたことがあったの。でも、たくさんありすぎて途中で眠っちゃった。」
リノアはその時のことを懐かしむように小さく笑った。俺は彼女の隣の席に座った。
「空の星は人々の夢の数だけあるらしい。と言ってもこれは、小さい時に聞いたおとぎ話の中の話だけどな。」
「素敵な話ね。私の夢もあの星達の中にあるのかな。」
「歌手になる夢か？」
「え！？ど、どうしてそのこと知ってるのっ？」
「エルオーネの接続で、リノアの子供の時のヴィジョンを見たんだ。」
リノアの顔が真っ赤になった。
「そ、そうなの。うわっ、なんだか恥ずかしいな。でもね、そう思ってたのは子供の時だけで、今は歌手になりたいなんて思ってないのよ。多分あの頃は母みたいになりたくて、そんなこと言ってたんじゃないかなって思うの。」
「じゃあ、今のリノアの夢はなんなんだ？」
「私の夢‥‥。夢、というよりは願望、かな。私は‥‥普通の人間でいたい。スコールやお姉ちゃん、キスティス、ゼル、セルフィ、アーヴァイン。みんなと同じ側の世界にいたい。」
リノアは抱いた膝に顔を埋めた。
「もう分かってるよね。私の正体。」
「正体なんて言い方するな。リノアはリノアだ。」
「私は魔女よ。人々が忌み嫌い、恐怖する存在、魔女。‥‥驚いたでしょ？」
「‥‥いいや。分かっていたから。」
今度はリノアが驚く番だった。顔を上げた彼女は、信じられないという表情をしている。
リノアは魔女。そのことについて、俺も初めから確信があった訳じゃない。ただ、イデアが魔女の力をなくしたと聞いた時、もしかするとそうかもしれないと思ったのは事実だ。
「俺は、リノアが魔女かもしれないという可能性を承知の上で、あんたをここまで連れて来た。だから、今度のことは俺にも責任があるんだ。」
「‥‥」
「また、バカ、と言いたげな顔だな。ああ、バカで結構だ。それでも俺はリノアを‥‥」
取り戻したかったんだ。
リノアは今にも泣き出しそうな表情で微笑んでいた。
「‥‥スコール、お願いがあるんだけどいい？少しの間だけでいいから‥‥手を握っていてほしいの。」
俺は頷くと、リノアの手を取った。冷たく冷えた手だった。まるで今の彼女の孤独を表しているかのような冷たさだ。
「暖かいね。人の体温って、とても安心する‥‥。地上に戻ったら今まで通りにはいかなくなるね。きっと、すごい騒ぎになってる。」
「そうだな。エスタではモンスターが大量に降って来て、今頃大騒ぎしているだろうな。」
エスタに残ったゼルやキスティス達のことが急に心配になってきた。無事でいるといいが。
「‥‥ねえ、スコール。スコールは一つだけ勘違いしてるわ。」
「勘違い？」
「私は確かに魔女イデアの力を継承したけど、あの時に魔女になったんじゃないの。」
俺はリノアの言っている意味が、すぐには飲み込めなかった。
「私は‥‥子供の時から、それこそ物心がつく前から魔女だったの。ごめんね、ずっと黙ってて‥‥」
リノアははじめから魔女だった？そんな話は予想もしていなかったことだ。
「地上に着いたら、もう一緒にいられなくなるね‥‥」
リノアは俺の手を離して立ち上がり、そのまま駆け出すようにして客室から出て行った。