終章・星の声
「エアリス！クラウド！」
悲鳴に近い声で二人の名前を呼びながら、ティファは崩落した床の際まで駆け寄った。手と膝をついて下を覗き込む。
二人は奈落の底までは落ちていなかった。ほんのわずかに張り出した岩棚の上に、折り重なるようにして倒れていた。
「二人とも！しっかりして！」
「だ‥‥だいじょぶ。クラウドがとっさにレビテトの魔法を使ってくれたおかげでなんともないから。」
エアリスは体にかぶったマテリアの破片を払いのけながら、軽く手を振って見せた。
ティファがホッとしたのも束の間、すぐにその表情が曇った。上から見るとはっきり分かった。二人が置かれた状況は、まだとても助かったと喜べるものではなかった。
彼らのいる場所はここから５、６ｍほど下だったが、周りはガラスの切断面のように垂直に切り立った崖で、どう見ても這い上がることは不可能だった。
「ロープだよ、ロープ！誰かロープ持ってない！？」
「そんなもの都合よく持ち歩いてるワケないじゃん！」
「ハイウインドから縄ばしごを持ってくりゃいいんじゃねえか？」
「そんな悠長な暇があるかよっ！大体ここから出ることだって――」
「皆さん、あれ見て下さい！壁の一部が崩れとるで！あそこから出られそうや！」
ケット・シーが指差した先には、人一人が通り抜けられるほどの穴が開いていた。だがその脱出口も、依然として続く激しい揺れでいつまた崩れるかも知れなかった。
逃げ道を探して周囲に目を走らせていたクラウドは、隣のエアリスが上ではなく下を見ていることに気付いた。その視線の先を辿ると、そこには淡いグリーンの光が波打つように流れていた。
「ライフストリーム‥‥」
呟いたクラウドは、フッと小さく笑った。
「クラウド？」
「これで脱出ルートが決まったな。上がダメなら下に行くまでだ。」
「でも、あの中はとても危険なんだよ。生身の人間が入っていい場所じゃない。それはクラウドが一番よく知ってるよね。」
「ああ、分かってる。でも俺は帰って来た。一度は通った道だ。それに、今度は一人じゃない。エアリスがいる。」
お互いの視線を交わす。心は決まった。
「オッケー！出たとこ勝負だねっ。」
「エアリスお得意のな。」
笑い合った二人は、上で右往左往する仲間達を見上げた。
「みんな、先に行け！俺達は別ルートで脱出する！」
「別ルート？別ルートなんてどこにあるんだよっ。」
バレットは困惑したように聞き返した。
「‥‥ライフストリーム。」
二人の様子を見守っていたティファは、彼らがやろうとしていることを悟った。
「二人はライフストリームを通るつもりなのよ。」
「な、なんだって！？」
「いくらなんでもそりゃ無謀でい！」
「自殺行為だよ！」
「ムチャだってばエアリス！死んじゃうよっ！」
「待って、みんな。」
思い止まらせようとするバレット達を、ティファは止めた。
ティファはクラウド、次いでエアリスと視線を合わせた。見上げるエアリスは、置かれた状況にも関わらず笑顔だった。
「‥‥大丈夫なのね？」
「うん、だいじょぶだよ、ティファ。だから先に行って待ってて。あとで私達を拾ってね。必ず行くから。」
「分かったわ。待ってるから。必ず、戻って来て。‥‥必ずよ！」
ティファはクラウドとエアリスに向けた視線を引き剥がすようにして立ち上がり、仲間達に向き直った。
「行こう、みんな。ここを脱出するの。私達はここで死ぬ訳にはいかない。私達が死んだら、外に出たクラウドとエアリスを拾う者がいなくなってしまう。」
彼らはほんの一瞬ためらう様子を見せたが、やがて迷いを断ち切るようにして、一人一人と出口へ向かって走り出した。
「ティファ。」
途中で立ち止まったバレットが振り向いた。
「お前、強くなったな。アバランチの頃とは別人みてえだぜ。」
「ありがとう、バレット。でも、強くなったのは私だけじゃない。この旅を通して、みんなが強くなったんだと思う。」
「お、おう、そうだな。そのとおりだっ。」
照れくさそうに笑い、バレットは駆け出して行った。
最後に残ったティファは、もう一度クラウドとエアリスを見下ろした。
「じゃあ、先に行くわ。またあとでね、クラウド、エアリス！」
「気をつけてな！」
「またね、ティファ！」
胸が張り裂けそうな不安を懸命に堪え、それを笑顔で隠して手を振ったティファは、黒髪を翻すようにして穴の淵から消えた。
ティファが去ったのを見届けた二人は、改めてライフストリームに目を向けた。星を巡る生命の潮流は、穏やかな光を放ちながら流れている。
「もしかしたら、彼はこの先にいるのかもしれない。」
「‥‥セフィロス、か？」
クラウドの言葉にエアリスは頷いた。
「そうか‥‥。見つけられるか？」
「私には無理だけど、クラウドなら見つけられるはずだよ。前にティファがライフストリームの中でクラウドを見つけたように、彼と同じ過去を共有しているクラウドなら、きっと。」
「分かった。セフィロスを助け出そう。それが、ザックスの最後の頼みなんだ。」
「それと、ルクレツィアさんの願いでもある。」
エアリスは束ねた髪をほどき、結び目に仕込んでいた白マテリアを取り出した。白マテリアを左の手のひらに乗せて差し出す。
クラウドはその手に自分の右手を重ねた。二人の体温以上の暖かさが、手の中から伝わってくる。
「行こう、エアリス！」
「うん！」
固く手を握り合った二人は、ライフストリームへと身を躍らせた。
「あった！飛空艇だよ！」
先頭を走っていたレッドXIIIが叫んだ。
崩れ落ちるマテリアの広間から逃げ出した彼らは、飛空艇の着陸地点へと戻って来た。
「て、艇長！良かった、無事だったんですね！」
昇降口から外の様子を恐々伺っていたクルーの一人が、シドの姿を見つけて泣きそうだった顔を輝かせた。
「俺様がそう簡単にくたばるわきゃねえだろがっ。半ベソかいてねえでとっとエンジン始動しやがれいっ、撤収だ！」
「アイアイサー！」
敬礼したクルーは飛空艇の中へと駆け戻った。
「ティファ！急げ！」
昇降口に辿り付いたバレットは、片手を振り回して遅れ気味のティファを呼んだ。
ティファはマテリアの壁が砕けていく音を背中で聞きながら、懸命に走った。
「出して！」
飛空艇がゆっくりと離陸を始めた。地面からタラップが離れた直後、地を蹴ったティファは転がり込むようにして飛び移った。
バレットと共にブリッジへ入ったが、事態はまだ窮地を脱してはいなかった。周囲の大空洞の崩落は収まらず、少しでも進路を誤れば崩れたマテリアの壁に巻き込まれかねない状況だった。
「もっとスピード出ねえのかよ！この世で一番速い乗り物なんだろ！？」
「無理言うない！今ハイウインドは垂直浮上してんだ。水平飛行とは訳が違うんでいっ。これが精一杯だ！」
操舵輪と格闘しながら、シドはバレットに怒鳴り返した。
「艇長、レーダーに反応が！下から何か来ます！ものすごく巨大な何かです！」
「まだモンスターが追って来てやがるのかよ！シィット！」
「い、いえ、違いますっ。これは‥‥」
ティファは展望窓に駆け寄った。眼下には淡いグリーンの光が広がっていた。
「ライフストリーム‥‥」
ティファは窓に手と額を押し当てた。
「なんや飛空艇のスピードがはようなってませんか？」
ケット・シーは不思議そうにキョロキョロと辺りを見回した。
「そうか‥‥ライフストリームが飛空艇を押し上げているのだ。」
ヴィンセントはライフストリームの光に目を細めた。
「よっしゃ！このまま一気に大空洞を出るぞ！おめえら、しっかりつかまってやがれい！」
ライフストリームの噴き上げに押し上げられ、飛空艇はぐんぐん加速していった。周囲の壁の崩落は相変わらず続いていたが、シドの巧みな操縦によりそれらの瓦礫をすべてかわして行く。さすがのユフィもこの切迫した状況にあっては、乗り物酔いを起こす暇さえなかった。
ようやく、飛空艇は大空洞から飛び出した。ライフストリームの噴き上げも飛空艇の脱出を見届けたかのようにそこで終わり、徐々に星の胎内の奥へと戻っていった。
「オイラ達、星に助けてもらったんだ‥‥」
レッドXIIIの呟きに、ティファは同感の意を込めて頷いた。
「‥‥だが、まだ終わった訳ではないようだ。」
空を見上げていたヴィンセントが、突然踵を返して駆け出した。
ティファは大空洞から東の空へと目を転じ、ヴィンセントが見ていたものを見た。そして、絶句せざるを得なかった。
「なんだよありゃ！」
「ウソーーっ！」
「冗談きついで！」
我が目が信じられない彼らは、ヴィンセントのあとを追って甲板への出口に向かった。
甲板へ出たティファ達は、それを目の当たりにして呆然と立ち尽くした。空の半分以上を覆い尽くすメテオの姿がそこにあった。
陽の光を完全に遮ったそれは、世界を夜の闇へと変えていた。すべてを押し潰そうとするメテオの圧倒的な威圧感に、息苦しささえ覚えた。
「なんで！？アタシ達がジェノバを倒したのになんでまだいるのさっ、メテオ！」
ユフィは問い詰めるようにメテオに向かって人差し指を突き付けた。
「ジェノバの言ってたとおりだ‥‥。メテオは止まらない、止めることは出来ないって。」
レッドXIIIは悔しげに歯噛みした。
「そやっ、ホーリーや！メテオに対抗出来るんはホーリーだけなんやっ。ホーリーが現れんことにはどないもならんのですわ！」
「で、そのホーリーはいつ現れるんでいっ。このままじゃ間に合わねえぞ！」
クルーに飛空艇の操縦をまかせてきたシドは、ケット・シーと一緒になって空や地上の方々に視線を走らせた。
しかしそのどこにも、ホーリーが現れる兆しを見つけることは出来なかった。
「ジェノバを倒しただけではまだ足りない。ホーリーを発現させるには、まだ他に何かあるというのか‥‥？」
ヴィンセントは苦渋の表情で呟いた。
「チックショウ！ジェノバを倒しても、メテオを止められなきゃ星を救ったことにならねえ！これで‥‥これで終わりなのかよ！」
持って行き場のない怒りを持て余し、バレットは甲板の鉄柵に右腕の銃を叩き付けた。
メテオを見つめていたティファは、スッと目を閉じた。深く呼吸をし、目を開く。強い光を帯びた瞳が、再びメテオを捉えた。
「メテオの中心‥‥あそこはちょうどミッドガルの辺りね。行こう、ミッドガルへ。」
「ティファ？お前、急に何言い出すんだ？」
バレットは戸惑ったように訊いた。
「私達に出来ることは、もう何もないのかもしれない。でも、最後まで見届けることは出来る。この星の終焉か‥‥それとも、この星の再生を。」
場に静けさが漂った。彼女の言葉は、今の空のように闇に覆われ影に沈み込む寸前だった彼らの心に、再び光を注ぎ込んだ。
「‥‥いかんなあ、ボクとしたことが自分から勝手に棺桶の中に入るとこでしたわ〜。」
「オイラ達はまだ生きてるんだ。生きてる限り、最後の最後までジタバタしなくちゃね！」
「どうせメテオが落ちるなら、俺様が真下で受け切ってやらあ！」
「大ドンデン返しの大逆転はマテリアハンターユフィの十八番だよっ。最後の一瞬まで気を抜くなってね！」
「私達に出来ることは、まだある。最後まで足掻くこと、諦めないこと、信じること‥‥。まだ、やれる。」
「よし、行こうぜ、ミッドガルへ！幕が下り切るまで俺達は舞台から降りねえぞ！」
進路を東へ取った飛空艇はスピードを上げた。
魔晄都市ミッドガル。そこは彼らの旅が始まった場所であり、そして、終わりを迎えるであろう場所。
見渡す限り何もない白い空間に、その幼い子供はいた。
抱えた膝に顔を埋め、背を向けて座り込んでいる。小さな背中を透き通るような長い銀髪が覆い、その色が白の風景に溶け込んで、その子を一層儚い存在に見せていた。
クラウドは子供にそっと呼びかけた。
「お前の‥‥名前は？」
「‥‥知らない。」
エアリスはその子の背後で跪いた。
「ここで何をしてるの？」
「‥‥待ってる。」
「何をだ？」
「‥‥分からない。」
「分からないのにどうして待ってるの？」
「‥‥ここにいろって言われたから。ずっとここにいて、どこへも行かなくていいからって。」
「お前はここにいたいのか？」
子供は初めて反応を見せた。膝からわずかばかり顔を上げた。
「あなたはこの場所が好き？」
子供はゆっくりと立ち上がった。両腕で何かを抱きしめているような仕種だが、それが何かはまだ見えない。そして、立ち上がった子供の体は、座り込んでいた時より成長し大きくなっていた。
「‥‥好きじゃない。ここは、嫌い‥‥」
「じゃあ、出ようよ、ここを。」
「出る‥‥？ここを出る‥‥。無理だよ。僕はずっとここにいるしかない。ここから出られない。」
「出られないと誰が決めた？お前のことを決められるのは、お前自身なんだ。」
クラウドとエアリスに向き直った少年は、また成長していた。まだあどけなさの残るその顔には、はっきりと彼の面影があった。
少年の両腕は淡いグリーンの光を抱きしめていた。
「‥‥ここから出てもいいの？」
「あなたが行きたいところへ行っていいんだよ。いたくもない場所に、いる必要なんてない。」
「でも、外には憎しみが溢れてる。世界は僕を憎んでる。‥‥怖いよ。やっぱり出られない。」
首を振った少年は、縋るようにぎゅっと淡いグリーンの光を抱きしめた。
「世界がお前を憎んでるんじゃない。お前が世界を憎んだんだよ。」
「僕が、世界を‥‥」
「もう終わりにしよう？あなたは今、怖いと言った。それはあなたの中にある憎しみを、あなた自身が怖がっているから。あなたは本当は、憎しみをやめにしたいんだよ。」
「もう一度、自分の心に聞いてみるんだ。本当に自分が世界を憎んでいたのか。嫌っていたのか。壊してしまいたかったのかを。」
少年は腕の中の光を見つめた。光は優しく少年の顔を照らした。
顔を上げた時、少年は青年の顔になっていた。二人が追い続け、時に憎み、時に怖れた彼の姿がそこにあった。
「私は‥‥自分の生きる世界が好きだった。英雄と持て囃されることを疎ましく思いもしたが、それでも、この世界に自分があることを感謝していた。仲間達と共に戦い、共に傷付き、共に悲しみ、共に笑い‥‥そんな日常を、心から愛していた。」
「‥‥もう一度、訊くね。あなたの‥‥名前は？」
彼は目を閉じた。心の中の思い出を辿るような、静かで長い時が過ぎた。
「セフィロス‥‥」
目を開いたセフィロスは、クラウドとエアリスの存在にはじめて気付いたような表情で二人を見た。
「お前達は‥‥」
「俺達のことが分かるか？」
「お前は一般神羅兵の‥‥クラウド。そこの彼女と会うのは初めてだが、知っている。」
「これまで外の世界でどんなことが起こって来たのか、今何が起こっているのかは分かる？」
「ああ、分かっている。それを引き起こした原因が自分だということも。‥‥すべては、私が弱かったせいだ。」
意外な言葉を聞き、二人は少し戸惑ったようにセフィロスを見た。
「すべての始まりは５年前のあの日‥‥。ニブルヘイムで自分の出生の秘密を知った私は、その現実を受け止め切れなかった。真実が私にもたらした衝撃は、私の中に眠っていたあるものを揺り起こした。」
「ジェノバ細胞‥‥」
「私の意思は私のものではなくなり、すべてがジェノバの意思へとすり変わっていった。‥‥私は人が言うような英雄などではなかった。本当の私は、ここで膝を抱えていることしか出来ない、ちっぽけな人間にすぎなかったのだ。」
セフィロスは恥じ入るように視線を地に落とした。
「セフィロス‥‥」
ためらいがちにセフィロスに歩み寄ったクラウドは、彼と向かい合った。
「弱いことは悪いことじゃない。そのことで誰もあんたを責められはしない。俺だって弱い人間だ。誰だって弱さを持ってるんだ。でも‥‥」
クラウドは声を詰まらせた。思いがけず涙が溢れそうになるのを堪えて言葉を続けた。
「俺は‥‥あんたに勇気を出して欲しかったと思う。自分の弱さを認める勇気を、他人にさらけ出す勇気を持って欲しかった。‥‥あんたは、俺の憧れだった。俺の英雄だった。だから、今はそれが、一番悲しい。」
再び視線を上げたセフィロスは、クラウドの目をまっすぐに見た。そして、小さく頷いた。
「そうか‥‥そうか‥‥。そうだな‥‥」
自分に言い聞かせるように、何度も呟いた。
セフィロスはエアリスの方に向き直り、両手で抱いた淡いグリーンの光を差し出した。
「これは‥‥君が解放してやってくれ。」
手を伸ばしかけたエアリスは、その手を途中で止めた。
「あなたが解放してあげて。」
「しかし‥‥」
ためらうセフィロスの手に、エアリスは優しく触れた。
「これは、あなたがやるべきことだよ。あなたなら、出来る。」
エアリスの目を見つめていたセフィロスは、やがて頷いた。
手の中の光を持ち上げたセフィロスは、口づけするようにそっと顔を近付けた。そのままゆっくりと光を頭上に掲げる。
「長い間、引き留めてすまなかった‥‥」
セフィロスは手を放した。彼の手を離れたあとも光はしばらくその場に留まり、別れの挨拶をするように暖かな光を降り注いだ。
やがて天高く昇って行く光を、３人は見えなくなるまで見送り続けた。
「次はあなたの番だよ、セフィロス。あなたはもう、だいじょぶ。」
「‥‥ああ。これで私もようやく旅立つことが出来る。私が本来還るべき場所へ。」
２人とセフィロスの間に、いつの間にか距離が空いていた。
「これで‥‥お別れだな、セフィロス。」
「もう二度と、会うことはないだろう。」
別れの言葉を交わすクラウドとセフィロスに、エアリスは微笑んで首を振った。
「お別れなんかじゃない。また会えるよ、いつか、きっと。星を巡る生命の旅は、この先もずっと続いていく。またどこかで、その軌跡が交わる日は必ず来る。」
セフィロスの顔に、初めて笑顔らしい表情が浮かんだ。
「私も、そう‥‥信じよう。」
セフィロスとの距離がさらに広がった。
「うん、だから‥‥またね、セフィロス。」
「またな‥‥セフィロス。」
彼の姿がどんどん遠くなっていく。霞んでいく。
「ありがとう‥‥。もし、また会えたら‥‥」
声が途切れ、セフィロスの姿も消えた。
しばらくその場に佇んでいたクラウドとエアリスは、互いの顔を見合わせた。
「‥‥さあ、俺達も帰ろう。」
「うん、帰ろ。みんなの待つ場所へ、私達がいるべき場所へ‥‥あっ。」
「どうした？」
「そっか‥‥そういうことなんだ。うん、きっとそう。絶対そうっ。あははっ。」
急に笑い出したエアリスに、クラウドは目を丸くした。
「大丈夫か、エアリス。もしかしてライフストリームにあてられたんじゃ‥‥」
「クラウド、やっと見つけたよ。私の約束の地。」
「え？」
クラウドの正面に立ったエアリスは、瞳をまっすぐ彼に向けた。
「ううん‥‥見つけたっていうのとはちょっと違う。見つける必要もなかった。探す必要もなかった。気付くだけでよかった。私が心からいたいと願う場所、大切に思う場所。地図にはない、私の心が決める場所。そこが、私の約束の地。」
エアリスを見つめていたクラウドは、やがて右手を差し伸べると、そっと彼女の頬に触れた。
「‥‥俺にもあるよ。そんな場所が。」
エアリスはその手に自分の手を重ねて微笑んだ。
二人の前に輝く光の輪が現れた。互いの手を繋いだ二人は、光の中へと足を踏み出した。
コスモキャニオンの中心にあるコスモキャンドル。この聖なる炎はコスモキャニオンの有史以来、決して絶えることなくこの土地を照らし続けてきた。
だが今、その炎は燃え尽きようとしていた。人々は今にも消え入りそうなコスモキャンドルと、東の空を覆う巨大な暗黒の星を絶望的な思いで交互に見つめていた。
高台の上に立つハーゴ長老もまた、空のメテオを仰いでため息をついた。見るに耐えない光景だが、彼にとってはコスモキャンドルが消えゆく様を見ている方がよほど辛かった。
「ハーゴ長老。」
呼ばれて振り返ると、長い髪の女性が近付いて来るところだった。
「ルクレツィア‥‥あなたが人前に現れるとは珍しいのう。世捨て人のあなたでも、世界がこの有り様ではじっとしていられなかったようじゃな。」
ルクレツィアは小さく笑った。
ハーゴ長老はこのコスモキャニオンで、彼女の身の上を知る唯一の人物だった。行き場をなくしていた彼女に、この土地に住めるよう取り計らってくれたのも彼だった。
「もう、逃げ隠れするのはやめにしたんです。いくら逃げても、私が私の罪を見逃してはくれない。それなら、きちんと向き合って生きて行こうと決めたんです。」
「そうか‥‥。よい決断をなされたな。」
「はい。でも‥‥」
ルクレツィアはハーゴ長老と共にメテオを見上げた。
「間に合わなかったのね、ヴィンセント‥‥」
ルクレツィアは呟いた。彼と彼の仲間達がその後どうなったのか、彼女に知る術はなかった。しかし、依然としてメテオは健在なのだから、おそらくそういうことなのだろう。
ルクレツィアは寒そうに自分の体を抱きしめた。
その時、ふと気配を感じて後ろを振り返った。誰もいない。だが、感じる。
２、３歩足を踏み出したルクレツィアは、自分でもなぜそうしたいのか分からないまま両手を差し伸べた。その手の上に、淡い光が集まっていく。
やがて光は、小さな赤ん坊の形を象った。ルクレツィアはその光をそっと胸に抱いた。
優しい暖かさが全身に広がっていく。それは、彼女が一度でいいから触れたいと、願い続けた温もりだった。
風が吹き抜け、光もそれに運ばれるようにして彼女の中を通り過ぎて、消えた。
涙が溢れた。止めようとしても止まらない涙は、彼女がこれまで背負ってきた悲しみや苦しみを、すべて洗い流してくれるようだった。
同時に、ルクレツィアには分かった。この涙が涸れた時、自分は新しい一歩を踏み出せるだろう。だから、今は好きなだけ泣いていいのだと。
「どうしたね、ルクレツィア。」
心配げに声をかけたハーゴ長老に、ルクレツィアは泣きながら微笑んだ。
「‥‥私は、大丈夫です。心配いりません、でも‥‥今だけは‥‥」
ふと空を見やったルクレツィアは、それを見つけた。
「あれは‥‥」
ミッドガル近郊の町カーム。その町の一角にある小さな二階建ての家のバルコニーで、１人の女の子が空を見上げていた。
「とうちゃん‥‥」
女の子は泣きそうな顔になるが、涙がこぼれる前に目をごしごしとこすり、挑むような表情で再びメテオを見上げた。
「ここにいたのかい、マリンちゃん。」
エアリスの育ての母エルミナが、ベランダに現れた。
マリンの隣に並んだエルミナは、少女の肩を抱いて空を見た。
「‥‥せっかくリーブさんがミッドガルから出してくれたけど、これじゃあどこへ行っても同じだったねえ。あんな大きな星が落ちて来たんじゃ、この星全部が壊れてしまうよ。‥‥もう二度と、エアリスとは会えないんだろうね‥‥」
エルミナはこれ以上直視出来ないというように、メテオから目を逸らした。
「とうちゃんも‥‥お花のお姉ちゃんも、クラウドも、ティファも、みんな星を救うためにがんばってる。とうちゃん達が星を救ってくれるって信じてる。」
マリンはメテオを見据えたまま、バルコニーの柵を握る手に力を込めた。
「信じてる。絶対絶対信じてる。信じることしか出来ないから、最後まで信じ続ける！」
頑なともいえる意志の強さを持ったこの少女を、エルミナは感嘆の面持ちで見つめた。そして、目元を袖でぬぐって微笑んだ。
「ごめんよ、おばちゃんたら泣き言なんか言って情けないね。おばちゃんも信じるよ。生きてまた、私の娘に会えるってね。」
「うん！‥‥あっ。」
「え？‥‥あ。」
空に現れたそれに、二人の目は吸い寄せられた。
ミッドガル上空に到達した飛空艇ハイウインドは、今世界中で最もメテオに近い位置にいた。
甲板上にいる者達は、メテオを見上げて佇んでいた。
誰も何も言わない。だが、心に思うことは同じだった。ただ一つの願いを胸に抱き、彼らはそこに立っていた。
そして、それは現れた。
前触れなく現れたそれは、マテリアほどの小さな光に過ぎなかった。今や全天を席巻するメテオの巨大さに比べ、砂粒ほどの儚い存在だった。
まっすぐメテオへと向かった光は、そのままメテオの中に吸い込まれてしまうかに見えた。
だが、光は消え失せはしなかった。
メテオに開いた針の穴ほどの光。それが瞬く間に広がっていく。その様子はメテオが光に覆われるというより、メテオそのものが光へと変換されていくようだった。
メテオが地上にもたらした暗黒の闇を、メテオ自身が照らし出し、世界を暗闇から解放していく。
そして、メテオのすべてが光へと変わった時、メテオはメテオではなくなっていた。
「ホーリー‥‥」
ティファは降り注ぐ光に向かって両手を広げた。いたる所に、光が溢れている。光に、包まれていく。
どこまでもどこまでも果てしなく広がるホーリーは、星のすべてを優しく抱きしめた。
「これが‥‥ホーリーなんですなあ。この光に包まれとるだけで、なんや癒される気がしますわ。それなのに、泣けてくるんはなんでやろ‥‥」
ケット・シーは鼻をすすり上げる仕種をして見せた。
「アタシ‥‥なんだか小さい頃、母さんに抱っこされてた時みたいな気持ちだよ。すっごく懐かしくて、すっごく安心する‥‥」
その隣で、ユフィも目を潤ませていた。
「‥‥この感じ‥‥これは一体‥‥？」
ヴィンセントは自分の両手を見ながら呟いた。ホーリーの光に包まれながら、ヴィンセントは自分の中の何かが変わっていくのを感じていた。
遠い昔のあの日からずっと、いつも意識の下で感じていた見えない何かに枷をはめられ、重い鎖に繋がれているような感覚。それがなくなっていく。
「‥‥ジェノバ細胞が、消えた。私の中から‥‥いや、おそらくこの星の上からすべて消えた。」
顔を上げたヴィンセントの表情は、今までのどこか老成した雰囲気は消え、年齢本来の若々しさを取り戻していた。
「本当に！？」
「マジかよ！」
「すごいじゃん！」
「よかったねヴィンセント！」
仲間達がワッとヴィンセントの周りに集まった。彼の背や肩を叩いて喜びを顕にする。
君も感じているだろうか。私達の中の止まった時計が、再び時を刻み始めたことを。
仲間達の荒っぽい祝福を受けながら、ヴィンセントはコスモキャニオンのある方角を見やった。
世界中を光で満たしたホーリーは、やがて雨が地に染み込むように星の中へと消えていった。
再び頭上に、陽の光と青空が戻った。
そして彼らは、そこでホーリーの本当の力を目の当たりにすることになる。
「お、おい、なんか下の様子がヘンだぞ。こりゃあ‥‥たまげた。」
手を招いて仲間達を呼んだシドは、何度も目をこすって自分の見ている光景を確認した。
「信じられない‥‥オイラ、夢を見てるみたいだ‥‥」
シドと同じものを見ていたレッドXIIIは、感動のあまり声が震えていた。
彼らは地上を見下ろした。下にはミッドガルの荒野が広がっている。しかし、そこはもはや不毛の大地ではなかった。
うっすらと、だが確かに地表は緑に覆われていた。ミッドガル魔晄炉の吸い上げにより枯れ果てたはずのこの土地に、再び生命の緑が芽吹いていた。
「‥‥すげえ、すげえよ！ホーリーは星そのものを癒したんだ！うおおおおお！すごすぎるぜ！」
バレットは抑えきれない感情の昂ぶりを爆発させるように、空に向かって叫んだ。
「ホーリーはメテオに対抗するためだけの魔法じゃない。星が自分自身を癒すための魔法でもあったのね‥‥」
ティファは指先で目に溜まった涙を拭った。
この場にいる全員が、今目の前に広がる光景が夢ではないことを実感しながら、彼らがこれまで歩んできた長い道のりに思いを馳せた。
そして、最初にそれに気付いたのもやはりレッドXIIIだった。
「クラウドとエアリスだ！」
「なんだって！？」
「どこにいやがんでい！」
「見えないよっ！」
「いた！あそこだ！」
「ホンマや！けど、なんでミッドガルの荒野のド真ン中におるんや？」
ティファは甲板の鉄柵から大きく身を乗り出した。
「クラウドーーー！エアリスーーー！」
頬を風がなでる。その風が草を揺らす。その草のざわめきで目を覚ます。
クラウドの目に、まず最初に飛び込んできたのは青空だった。どこまでも広く、どこまでも高く澄み渡る青い空。
右手にぬくもりを感じ、横を見る。左手で彼の手を握るエアリスが横たわっていた。
彼の視線を感じたように、彼女も目を開けた。そして、彼と同じように、今や雲以外遮るものは何もない空を見た。
ゆっくりと立ち上がった二人は、一変したミッドガルの大地の風景に見入った。
「きれいだね‥‥。空が、草が、こんなにきれいな色をしてたなんて忘れてた。」
同じ思いで頷いたクラウドは、あることに気付いた。
「エアリス、白マテリアが‥‥」
「うん、分かってる。」
２人の手で握り合っていたはずの白マテリアがなくなっていた。
「多分、ライフストリームの中で落としたんだ。すまない、エアリス。母さんの形見なのに‥‥」
自分の責任のように謝るクラウドに、エアリスは首を振った。
「ユフィが言ってたよね。特別な力を持ったマテリアは、その力を使えるのは一度限りだって。白マテリアもそれと同じ。ホーリーを喚ぶという役目を果たしたから消えた。ただ、それだけ。」
エアリスはどこか晴れ晴れとした表情で言った。
幼い頃から肌身離さず持ち続けていた母の形見の白マテリア。だが、不思議と寂しさは感じなかった。その役目を終えた白マテリアは、きっと星へと還ったのだろう。
そしてクラウドは、自分もまた長剣を失ったことに気付いた。
自分を守り続けてくれた親友の形見の剣。だが、不思議と喪失感はなかった。あの剣がなくなったからといって、彼が自分に与えてくれたものまで消えた訳ではないのだから。
遠い目をして空を仰ぐクラウドの横顔を、エアリスはじっと見つめた。
「クラウド、気付いてる？」
「何をだ？」
「クラウドの瞳から魔晄の色が消えてるよ。」
驚くクラウドに、エアリスは微笑んで頷いた。
「初めて見る、これがクラウドの本当の瞳の色なんだね。今の空と同じ、とてもきれいな色をしてる。」
目を丸くしたクラウドは、やがてくすぐったそうに笑った。
聞き慣れたエンジン音が耳に届いた。見上げると、青空を横切る飛空艇の姿があった。甲板には、２人の大切な仲間達の姿が見える。
涙で顔をくしゃくしゃにしているティファ。
ちぎれんばかりに両手を振るバレット。
喜びを全身で表し飛び跳ねるユフィ。
同じようにして跳ね回るレッドXIII。
デブモーグリの上でメガホンを振り回して踊るケット・シー。
うまそうにタバコをふかすシド。
穏やかな微笑みをたたえて佇むヴィンセント。
クラウドは彼らに向かって大きく手を振り返した。
「よかった。みんな無事だったんだな。」
安堵したクラウドはエアリスの方を向いた。すると彼女は、手を振りかけた格好のまま立ちすくんでいた。
「エアリス？」
エアリスは微動だにしない。不安げに見守るクラウドの前で、みるみるその目に涙がたまっていく。
エアリスは崩れ落ちるようにして、その場に座り込んだ。
「エアリス！？」
慌てて膝をついたクラウドは、彼女の体を支えた。
「だいじょぶ‥‥。私はだいじょぶだよ。」
涙を溢れさせながら、エアリスは顔を上げた。その表情は、喜びに輝いていた。
そのままころんと草の上に寝転がったエアリスは、何かに聞き入るように目を閉じた。その顔に、幸せに満ちた笑みが浮かぶ。
「‥‥ね、クラウド。聞こえる？」
クラウドはエアリスと同じように、草の上に横たわった。目を閉じ、耳を澄ます。
着陸態勢に入る飛空艇のエンジン音。風の音。草のざわめき。
そして――
「‥‥ああ、聞こえるよ。」
星の笑い声が、聞こえる――。
−ＥＮＤ−