遥か昔、この地に降る雪は地表に薄化粧をほどこすように優しく降り積もっていた。
覆った雪は春の訪れとともに雪解け水となって大地に消え、現れた地面からは新たな生命が芽吹いていた。
かつてこの地には、巡る季節と生命の誕生があった。
だが、ある時突如として訪れた空から来た災厄によって、この地にあった季節の輪も生命の営みも失われた。
そして北の大地は、永久に凍りついたまま溶けることのない死の世界となった。
北の大空洞の上空に到達したハイウインドは、旋回を続けていた。身を切るような冷気の中、甲板に出たクラウド達は下界の様子を伺った。
「さーて、玄関に着いたはいいが‥‥」
シドは半分まで吸ったタバコを船外に投げ捨てた。ひらひらと風に舞って落ちたそれは、大空洞をすっぽり覆うように張られたエネルギーバリアに触れ、瞬時に消滅した。
それを見て、ヴィンセントは眉をひそめた。
「素直に我々を中へ入れる気はないらしい。」
「メテオが墜ちるまで、誰にも邪魔されとうないんでしょうなあ。」
ヴィンセントと同じように下を覗き込んでいたケット･シーは、難しそうな顔をして腕を組んだ。
バリア表面の異様な色合いの揺らめきに、不気味さを感じたティファは顔をしかめた。
「ここはやっぱり、飛空艇でドーンと体当たりして強行突破かしらね。」
「ティファ、お前だんだん言うことがエアリスに似てくるな。もしそれでダメだった時はどうするんだよ。俺達まで飛空艇もろとも木っ端微塵だぜ。」
ティファの過激な提案に、バレットは苦笑いを浮かべた。
「でも、なんとか突破口を開かないとさ。ここでメテオが墜ちるまで、ただぐるぐる飛んでる訳にはいかないじゃん。」
ユフィは仲間達の顔を見回した。
「ああ。ここまで来てセフィロスの元へ辿り着けなかったじゃ話にならない。どうにかして中へ入る方法を――」
「フレア！」
言いかけたクラウドの横で、エアリスが核熱マテリアの魔法を放った。突然炸裂した魔法に、クラウド達は仰天させられた。
「んー、ダメかあ。キズ一つ付いてないな。」
バリアに向かって放った魔法がなんの影響も及ぼさなかったことを確認して、エアリスは残念そうに言った。
「エアリスって、ホントまどろっこしいことが嫌いだよねえ。」
「うはははっ、やっぱ姉ちゃんにかなうヤツはいねえなっ。」
呆れ口調のレッドXIIIの横で、シドは大笑いした。
その後もう一度、今度は全員でバリアに対して魔法と銃撃による攻撃を仕掛けたが、やはり結果は同じだった。
「これでもダメか。これほど強力なバリアを張り巡らすなんて、セフィロスの力は一体‥‥」
クラウドは手すりを握り締め、行く手を阻む巨大な障壁を見据えた。
「でもこれは、セフィロスの力というより星の力を利用して作ってるんだと思うよ。星はウェポンのようなモンスターだって生み出すことが出来る。それと同じことなんじゃないかな。」
はっきりとした根拠がある訳ではなかったが、エアリスは直感的にそう思った。
「ウェポン‥‥」
ユフィは何か考え込むようにして呟いた。やがて意を決したように顔を上げると、エアリスに歩み寄った。
「エアリス、これ使ってっ。」
ユフィが差し出したものは、究極のマテリアだった。
「アルテマ‥‥。でもユフィ、これは――」
「星が生み出したモンスター、ウェポン。このマテリアはその心臓部だったものだよ。もんのすごい力を秘めてるのは間違いないよね。だったら、こいつを使えばこれくらいのバリア、壊せないことはないと思うんだ。どう？」
「確かに、試してみる価値はあるかもしれないな。」
クラウドはユフィの手の中の赤いマテリアを見ながら頷いた。
「それじゃ、これはユフィが使うべきだよ。苦労してようやく手に入れたマテリアなんだから、最初に使うのはユフィでなくちゃ。」
エアリスは言ったが、それに対してユフィはやや大げさとも言える笑い声を上げた。
「ムリムリ〜っ。アタシの力じゃ到底使えっこないよ。ここにいる中でこれを使えるのは、ホーリーを喚べるエアリスぐらしかいないって。」
エアリスの手にアルテマを握らせたユフィは、すべてまかせたとばかりに両手を上げて後ろに下がった。
アルテマを受け取ったものの、エアリスはためらっていた。ユフィは陽気に笑っているが、アルテマを手放したその一瞬、瞳に辛そうな色が浮かんだのを見たからだった。
「エアリス、がんばれ！この邪魔なバリアを吹っ飛ばしちゃってよっ。」
「エアリスなら出来るわ。がんばって！」
レッドXIIIとティファの声援にぎこちなく頷いたエアリスは、究極のマテリアを腕輪のマテリアホールにはめた。
鉄柵の前に立ち、バリアを見下ろしたエアリスはもう一度ユフィを振り返った。
ユフィは力強くＶサインを出した。
エアリスは前に向き直り、目を閉じた。意識を集中し、この未知のマテリアに呼び掛ける。
エアリスが微動だにしなくなって数分が過ぎ、仲間達が不安げに顔を見合わせ始めた頃、エアリスの目が開いた。
すうっと深呼吸したエアリスは、腕輪をはめた手を天に向かって差し伸べた。
「お願いっ！道を開いて！アルテマ！」
空中に小さな赤い光が放たれた。蛍が放つ光のように儚い輝きのそれは空高く舞い上がり、目のくらむような鋭い閃光を発した。そして次の瞬間、大空洞上空を覆わんばかりの巨大な赤い球体へと変化した。
赤い光が渦を巻くような球体は、ビリビリと大気を揺るがす振動を起こしながら、ゆっくりとバリアの中心に向かって降りていった。バリアの表面に接触すると両者は激しく反発し、それによって生じた衝撃波で飛空艇が激しく揺れた。
しかし、バリアの抵抗ははじめのうちだけで、赤い球体は徐々にバリアを押し広げるようにしてその存在を打ち消していった。
数十秒後、赤い球体は弾け飛ぶようにして消滅し、そのあとには大空洞を覆い隠していたバリアも跡形なく消え去っていた。
「ようし！すげえぞ、アルテマ！」
「お見事や、エアリスさん！」
ガッツポーズをとったバレットは、ケット･シーとハイタッチを交わした。
「あれだけの質量のバリアをきれいさっぱり消し去るなんて、さすがは究極のマテリアと呼ばれるだけのことはあるね。アルテマを使えば、セフィロスだって倒すことが出来そうだよ。」
「うーん、いいアイデアだけど、それはちょっとムリなんだよね〜。ザーンネンっ。」
感嘆したように言うレッドXIIIの横で、ユフィはオーバーに悔しがって見せた｡
「どうしてだ？」
不思議そうに尋ねるクラウドに、ユフィは曖昧な笑みを浮かべた。
「‥‥そういうことだったんだね、ユフィ。」
「エアリス、どういうことなんだ？」
話が見えないクラウド達に、エアリスは腕輪を上げて見せた。そこに、先程はめたはずの赤いマテリアはなかった。
それを見たユフィは、すべて分かっているという風に頷いた。
「あのね、特別な力を秘めたマテリアってのは、ほとんどの場合その力を使えるのは一度限りなんだよ。アルテマもそう。力を使い果たしたから消えちゃったってワケ。」
場の空気が重くなったのを感じて、ユフィは慌てて続けた。
「うも〜っ、そんな暗い顔するんじゃないってーのっ。アタシ嬉しいんだからさ。母さんとの約束を果たして究極のマテリアをこの手につかんだ。そしてそのマテリアが、星を救うための手助けになった。こんなに嬉しいことはないよ。きっと母さんだって、同じように思ってくれてるっ。」
「分かったよ。ありがとう、ユフィ。」
感謝の言葉を受けて、ユフィは照れくさそうに顔の前で手を振った。
「や、やだな〜、改まって礼なんてさっ。それに、礼ならアタシの母さんに言ってよね。アルテマなんて実在するはずがない、そんなものは伝説にすぎないって周りに散々言われながら、それでも諦めずに追い続けた母さんにねっ。」
「ユフィの母さんは、世界一のマテリアハンターだったんだな。」
「トーゼン！だってアタシの母さんだもん！」
ユフィは掛け値なしの笑顔で応えた。
行く手を阻むものが消えた空に、飛空艇は進入した。ぽっかりと開いた巨大な空洞内を、下へ下へとゆっくり下降して行く。
深くなるにつれて冷気は和らいでいったが、同時に陽の光も届かなくなった。しかし、まったくの闇にはならず、代わりに周囲からはぼんやりとした光が滲み出していた。
「これって‥‥もしかして全部マテリア？」
「それも、えらく純度の高い天然マテリアみたいですなあ。スカーレットあたりが目の色変えそうな光景ですわ。」
ティファの問いかけに、ケット･シーが答えた。
「ずいぶん降りて来たような気がするけど、まだ底に着かないの〜？そろそろ着いてくんないと、緊張で忘れかけてた乗り物酔いがまた戻って来ちゃうよ。もっとジャンジャカ降りてってよ〜。」
甲板の床に座り込んだユフィは、はあ〜とため息をついた。
「バッカやろーが。こんな薄暗い中を降下してんだ。おまけに先に何があるのか分からねえってのに、これ以上スピード出せるわきゃねえだろが。クソガキは酔い止め薬飲んで、あとは乗り物酔いが起きねえよう祈ってろい。」
内線電話でブリッジのクルーへ飛行に細心の注意を払うよう指示したばかりのシドは、ピシャリと言った。
「それにしても、星の中心まで続いていそうな深さだな。まるで星の胎内を進んでいるような気がするよ。」
クラウドは周りのマテリアの壁を見つめながら言った。
「星の胎内‥‥」
手すりから軽く身を乗り出したエアリスは、先の見えない空洞の底を見下ろした。
「やっぱり聞こえないなあ‥‥」
「何がだ？」
エアリスの呟きを聞いて、クラウドは尋ねた。
「全然聞こえないの、星の声が。こんなに近くにいるのに‥‥」
「‥‥心配しなくても大丈夫だ。伍番街の教会では、あんなにはっきり答えてくれたじゃないか。セフィロスを倒せば、また声を聞かせてくれるようになるさ。」
頷きかけたエアリスは、また不可解な違和感を感じた。それと同時に、唐突に焦りが募った。この違和感の正体を見極めない限り星を救うことは出来ないような、そんな気さえした。
エアリスの表情の変化に気付いたクラウドは、彼女の横顔を覗き込んだ。
「エアリス、どうかしたのか？」
「ザックス‥‥も、ルクレツィアさんも同じ事を言ってた。」
「同じ事？」
訳が分からないままオウム返しに繰り返したクラウドは、ふと思い当たるフレーズを口にした。
「セフィロスを、助けて‥‥」
「ねえクラウド、セフィロスはどこにいると思う？本当にこの先にいるのかな。」
「本当にって、エアリスも見ただろう？この大空洞で、俺は奴に黒マテリアを‥‥」
言いかけたクラウドは言葉を切った。その時の光景が頭の中に蘇る。
巨大なマテリアの中で眠るセフィロス。エアリスから黒マテリアを奪った自分は、不思議な力で彼の元へと引き寄せられた。
あの時、黒マテリアを渡す相手の目を見た。それがセフィロスだと、今の今まで疑いもしなかった。しかし――
巨大なマテリアの中で眠るセフィロス。――眠る、セフィロス。
あの時、セフィロスの目は閉じられていた。
では、あの目の正体は。
「‥‥ジェノバ。」
その名を口にした途端、クラウドは肌に粟が立つのを感じた。
逆にエアリスは、ああ、と吐息をもらした。目の前にありながら見えなかったものが、ようやく見えた気がした。
「俺達は思い違いをしていたんだ‥‥。すべての出来事はセフィロスの意思によるものだと思っていた。でも、そうじゃない。その裏には、ジェノバの意思があった。」
「始まりはなんだったのかを考えれば、すぐに分かることだったんだよね。空から来た厄災。それがすべての始まり。ジェノバは死んでなんかいない。遥か昔から今に至るまで、この星の奥底に巣くって、星の命を食らい続けている。」
「そしてセフィロスは‥‥もしかするとあいつも、俺と同じ‥‥」
「人形‥‥ジェノバの、あやつり人形。」
無言になった二人は、通り過ぎるマテリアの壁を見つめた。
やがてエアリスは組んだ両手を上に向けて伸ばし、大きく伸びをした。
「ふ〜っ。でも、ようやく胸の中のもやもやがなくなってすっきりした感じ。」
「そうか？俺はまだ頭の中の整理がついてないけどな。」
クラウドは苦笑気味に言った。
「要は倒すべき本当の相手が、セフィロスからジェノバに変わったってだけだよね。」
「あるいはその両方か。セフィロスがジェノバのあやつり人形なら、俺達の前に敵として立ち塞がることは十分考えられる。」
「‥‥さっきも言ったけど、セフィロスは本当にこの先にいるのかな。」
「どうしてそんな風に思うんだ？」
自分でもなぜそう思うのか理由がつかめないらしく、エアリスは眉間にしわを寄せて考え込んだ。
「‥‥ザックスとルクレツィアさんのあの言葉のせいかな。セフィロスを助けてという言葉。私、はじめそれはセフィロスを殺さないでという意味だと思ってた。でも次第に、二人の言葉にはもっと違う意味の、切実な願いが込められているんじゃないかと思うようになったの。なぜって‥‥ん〜、ダメだ、うまく言葉に出来ない。ゴメンね、全然説明になってないよね。」
エアリスは困ったように笑って見せたが、クラウドは彼女が言葉に表せずにいることをなんとかつかもうと、その言葉を心の中で繰り返した。
だがその思考は、突然の激しい揺れによって妨げられた。
「どうした！？」
「来た来た来たよ〜っ！」
「熱烈歓迎のお出迎えだよ！」
ユフィとレッドXIIIが飛空艇の真下を覗き込みながら叫んだ。
闇の底からモンスターが群れをなして飛び出して来た。飛空艇を瞬く間に覆い尽くすほどの数である。
「俺様はブリッジに戻る！おめえらこいつらをなんとかしとけ！ハイウインドに穴でも開けられやがったら承知しねえぞ！」
シドはそう言い放つと、飛空艇の中へ駆け戻って行った。
「カンタンに言うてくれますわ。ここを突破するんはラクやありまへんで〜。」
「でも、ここで飛空艇を落とされる訳にはいかないからね。ファイガ！」
レッドXIIIは目の前のモンスターの一群に向かって魔法を放ち、続けてケット・シーが残りの集団にサンダガの追い討ちをかけた。
クラウドとティファは間近に接近して来た集団をなぎ払い、バレットとヴィンセントは二人の攻撃が届かない敵を次々と撃ち落としていった。
「エアリス！これ使っちゃって！」
甲板に取り付こうとしたモンスターを円月輪を飛ばして払い落としたユフィは、エアリスにマテリアを投げた。
マテリアを受け取ったエアリスは、すぐさま腕輪のマテリアホールにはめ、精神を集中させた。
「マテリアハンターユフィ、とっときのお宝マテリア第三弾！その名も旋風マテリア『トルネド』！」
「行っけーーーーー！！」
甲板上に突如として巨大竜巻が出現した。竜巻はまるで意思ある者のようにモンスターの群れを追い、真空の刃を撒き散らして敵を切り刻んでいった。
飛空艇の周りを一巡した竜巻は突風と共にかき消え、そのあとに残ったのはわずかな数のモンスターだけとなっていた。
「よっし、キレイさっぱり。さっすがエアリスっ。」
ユフィは満足そうに頷いた。
「ユフィ、お前こんなすげえマテリアどっからチョロまかして来たんだよ。」
トルネドの威力に亜然としながらバレットは言った。
「ふっふっふ〜。それはマテリアハンターの企業秘密なのでお答え出来ません。」
ユフィはニヤリと笑って見せた。
「みんな見て、底が見えたわ！」
ティファの言葉どおり、大空洞の終点らしき場所が近付いて来るのが見えた。
残りのモンスターを片付け終わる頃には、飛空艇は大空洞の底へと着陸していた。
「ざっと見回した感じでは、歓迎の第二陣はおらんみたいですな。」
「油断させといて、ガバーッと襲いかかってくるつもりかもしんないよ。」
辺りを見回すケット・シーの横で、ユフィは皿のように見開いた目を闇に凝らした。
「ここで警戒していても仕方がない。とにかく外へ出よう。でもユフィの言うとおり油断はするな。」
クラウドに促され、面々は引き締まった表情で飛空艇を降りた。
「さあて、パーティーの主催者がいる場所はどっちなんでい？」
最後に飛空艇を出たシドが、得物の槍を担ぎながら仲間達に合流した。
「なんの気配もない。不気味なほどの静けさだ。」
ヴィンセントは油断なく周囲に視線を走らせながら低く言った。
「ねえ、向こうに光が見えるよ。」
レッドXIIIはその方角へ鼻先を向けた。
「私達を誘ってるみたい‥‥」
「へっ、上等じゃねえか。せっかくお招き頂いてんだ。行こうぜ。」
緊張のせいかやや掠れた声のティファの隣で、バレットは威勢よく足を踏み出した。
「なるべく一かたまりになって行こう。この先に何があるか分からない。みんな気を抜くな。」
クラウドが先頭、バレットが殿となり、一行は光の射す方へと進んで行った。
「あの光‥‥なんだかとても嫌な感じがする。クラウド、気を付けてね。」
後ろを歩くエアリスが心配げに声をかけた。
「ああ、分かってるよ。みんながいるんだ。大丈夫――」
「クラウド！」
悲鳴に近いエアリスの叫び声と同時に、クラウドは目の前がすべて光に覆い尽くされたように真っ白になり、記憶もそこで途切れた。
次に意識を取り戻した時には、誰かに名前を呼ばれていた。目を開ける直前、その声がティファのものだということに気付いた。
「――ラウド、クラウドってばっ。あ、やっと起きた。」
ティファは前屈みの格好で自分の顔を覗き込んでいた。
「ティファ‥‥」
「おはよう寝ボスケさん。早く起きて支度しないと、みんなに置いてかれちゃうわよ。」
「みんな‥‥？」
クラウドはすっきりしない頭で周りを見回した。そこは見慣れた自分の家の、見慣れた自分の部屋だった。
「なんで俺、自分の部屋なんかにいるんだ‥‥」
「すっかり寝ぼけちゃってしょうがないなあ。それでもソルジャー・クラス１ＳＴなの？しっかりしなさいよ。」
ティファはやれやれと頭を振った。
「ティファ、クラウドは起きた？」
階下から声が聞こえた。その声に、クラウドは訳もなくドキリとした。
「ええ、おば様。いま叩き起こしたところよ。でも、うーんと濃いコーヒーが必要みたい。」
呼びかけに応えたティファはドアへと向かった。
「じゃあ、またあとでね、クラウド。先に村の出口で待ってるからねっ。」
手を振って部屋を出て行った。
機械的に身支度を済ませて階下に降りると、台所には甲斐甲斐しく朝食の用意をする母の姿があった。
「母さん‥‥」
「おはよう、クラウド。えらくのんびりだったわねえ。今日は朝一番で出発するんじゃなかったの？」
「え？ああ、うん‥‥」
「はい、これ。朝食を食べてる時間はなさそうだから包んでおいたわ。」
母は小さな包み紙を差し出した。
「あ、ありがとう‥‥」
「あらあら、ティファの言うとおりまだ寝ぼけてるみたいね。やっぱりコーヒーだけでも飲んで行きなさい。」
湯気の立つカップを受け取ったクラウドはそれに口を付けた。
コーヒーはとても苦く、そして泣きたいほど懐かしい香りがした。
「おいしかった。ありがとう、母さん。」
「少しはシャキッとしたようね。さあ、忘れ物がないなら早く行きなさい。みなさんを待たせちゃダメよ。」
家の戸口へとクラウドを導いた母は、そこで立ち止まった。
「母さんはここまでにしておくわね。人を見送るっていうのはどうも苦手なの。ここからお前を送り出すことにするわ。」
「うん。じゃあ行ってくるよ、母さん。」
「いってらっしゃい、クラウド。体には十分気を付けるのよ。お前がいくら強いといっても、怪我もすれば病気にだってなるんだからね。」
「分かってるよ。心配しないで。」
「それから‥‥忙しいとは思うけど、たまには帰っておいで。今度は仕事のついでじゃなく、休暇を取ってね。」
「ああ。また‥‥帰って来るよ。寂しい思いさせて、ごめん。」
クラウドは母を抱き締めた。母はその温かな手でクラウドの背中をさすった。
「私のことなんか気にしないで。お前の前には大きな未来が広がってる。ここを出てまっすぐ前に進みなさい。立ち止まる必要はないのよ。」
我が子を放した母は、家の外へとその背を軽く押し出した。
「いってらっしゃい。」
笑って手を振った母は、まるで隠れるようにしてドアを閉めた。
多分それは、涙を見せないようにする為だろうと察し、クラウドは胸に熱い思いを抱いて村の出口へと向かった。
待ち合わせの場所では、３人の人物が自分を待っていた。
「よう、遅いぞ、クラウド。もう少しで置いてくところだぜ。」
地面に座り込んでいたザックスが、クラウドの姿を見つけて草を払いながら立ち上がった。彼の屈託のない笑顔に、クラウドはまたドキリとするものを感じた。
「クラウドが来なかったら、私が代わりにミッドガルへ行っちゃおうかなって話してたところよ。」
ティファは隣に立つ長い銀髪の男に笑いかけた。
「彼女は高名な格闘家のお墨付きを頂いたほどの腕前だそうだな。訓練を積めば、お前達よりよほど優秀なソルジャーになるかもしれないぞ。そうは思わないか、クラウド。」
男に視線を向けられたクラウドは、思わず足が止まった。体中が凍りついたような気分になる。
「どうした？」
「‥‥いや、なんでもない、セフィロス。」
「おかしなヤツだな。さあ、早く車に乗れ。今日中にコスタ・デル・ソルに着けなくなるぞ。」
セフィロスは長い髪を翻して歩き出した。
「やりいっ、コスタ・デル・ソルかあ〜。俺、あの街大好きだっ。」
そのあとを浮かれ気分のザックスが追いかけた。
「お前が好きなのはあの街じゃなくて、浜辺の水着美女達の方だろう、ザックス。」
「なに言ってんだよ。コスタ・デル・ソル＝水着美女だろーが。ビバ！熱い太陽！」
「やれやれ。」
セフィロスは笑って頭を振った。
そんな二人の後ろ姿を見送っていたティファは、寂しそうに俯いた。
「クラウド、また行っちゃうのね‥‥」
「ああ、次の任務がミッドガルで待ってる。」
「また帰って来てね。きっとよ。」
「また帰って来るよ。ティファもそれまで元気でな。」
「クラウドも元気でね。私、クラウドの無事をここからずっとずっと祈ってるから。」
「ありがとう、ティファ。それと、母さんのことを頼むよ。一人で寂しい思いをしてるだろうから。」
「分かってるわ、まかせて。クラウドはなんの心配もしなくていいのよ。ただ自分の身の心配だけしていてね。」
「うん‥‥じゃあ、行くよ。またな、ティファ。」
「またね、クラウド。」
涙をこらえて微笑むティファに見送られ、クラウドはセフィロス達の元へと向かった。
神羅軍輸送車の後部荷台に乗り込んだ彼らは、ニブルヘイムをあとにした。
「あ〜あ、休暇も終わりかあ。」
ザックスは座席に寝転がってつまらなそうに呟いた。
「休暇？」
訊き返したクラウドに、ザックスはニヤリと笑った。
「今回の任務のことさ。超楽勝でほとんど休暇みたいなもんだったじゃねえか。普通、たったあれしきの任務にソルジャー・クラス１ＳＴが３人もいらねえだろ。楽な任務与えて安上がりな休暇を取らせたつもりなんだろうよ、お偉いさんの考えとしてはさ。」
「そうなのか？」
クラウドはセフィロスの方を見たが、セフィロスは肩をすくめて見せただけだった。
「だが、確かにいい骨休めにはなったかもしれないな。久しぶりにのんびりとした気持ちになれた。お前の故郷はいいところだな、クラウド。」
「そうかな‥‥なんにもないただの田舎だろ。」
クラウドはそっけなく答えたが、やはり内心では嬉しさを感じていた。
「なんにもないド田舎上等っ！これで水着のおねーちゃん達がわんさかいれば言うことなしなんだけどなー。」
「なあセフィロス、俺は未だになんでザックスがソルジャー・クラス１ＳＴになれたのか、不思議でしょうがないんだけどな。」
「ソルジャーになるのに品性は必要ないということだな。」
二人の皮肉にザックスはカラカラと笑った。
「あ〜、わりいわりい。俺、１６で実家を出る時品性ってヤツ忘れてきたみたいでさ、今度の帰省で取ってくるよ。」
「今度のって、お前が最後に実家に戻ったのはいつの話だよ。」
「えっと、１６の時？」
「それって一度も帰ってないってことだろっ。」
「あ、そうかも。」
クラウドとザックスのやりとりを聞いていたセフィロスは、こらえきれなくなったように笑い出した。それを見た二人もつられて笑った。
互いに命を預けあう戦友達。その大切な仲間との他愛もない会話と冗談。心安らぐひと時だった。
しかし、それと同時にクラウドは、目の前にいる彼らよりもずっとずっと大切な仲間達が、自分にはいたような気がしてならなかった。
タイヤが石に乗り上げたのか、車体が大きく揺れた。その拍子に立て掛けてあった長剣が倒れた。
「おっとと。」
上半身を起こしたザックスの代わりに、クラウドがそれを拾い上げた。剣の柄を握って身を起こしたクラウドは、そのまま動きを止めた。
「サンキュー、クラウド。」
「これ‥‥お前の剣だよな、ザックス。」
「んあ？何を今さらとぼけたこと言ってんだよ。まだ頭寝てんのか？」
剣の柄を凝視していたクラウドは、やがておかしくてたまらないという風に、肩を揺らして笑い始めた。そんなクラウドを、ザックスとセフィロスは訝しげに見つめた。
「おい、どうしたんだよ、クラウド。」
ひとしきり笑ったあと、クラウドは一呼吸置いてザックスを見た。
「‥‥お前の力もこの程度ってことか。」
「んん？なんの話だよ。」
「この剣の柄に文字が彫ってあるよな。お前のイニシャルだろう？」
「ああ、ずっと前から彫ってあっただろ。それがどうした？」
ザックスは訳が分からないという風に首を傾げた。
「ザックスは自分の剣にイニシャルなんて彫っていない。自分の持ち物にはきちんと名前を書いてる、なんていうのはあいつ一流の冗談なんだよ。お前も引っかけられたってことさ‥‥ジェノバ。」
ザックスの表情からスッと笑顔が消えた。
クラウドは長剣の切っ先をザックスに向けた。
「俺をここから出せ。二人を斬れというのなら、俺は微塵もためらわない。」
「おいおい、クラウド。落ち着けよ。俺を斬るって言うのか？俺とお前は親友だろ？」
取り繕うように再び笑顔を浮かべたザックスは、悪い冗談はよせとばかりに両手を上げた。そんな彼を見つめながら、クラウドは深く息をついた。
「‥‥ああ、親友だ。俺のかけがえのない親友だった。だからこそ、こんな風にザックスを利用することが許せないんだ！」
クラウドはザックスを長剣で貫いた。ザックスは血を噴き出すこともなく、霧が風に流されるようにサアッとかき消えた。
クラウドはすぐさまセフィロスに剣先を突きつけた。
セフィロスは動じた様子もなく、ゆったりと背をもたれて腕を組んだ姿勢のまま、向けられた刃越しにクラウドを見た。
「‥‥なぜ拒む？英雄セフィロスと肩を並べて戦うソルジャー・クラス1ＳＴ。これがお前の望んでいた本来のお前の姿だろう。」
「５年前の俺がそんな夢を見ていたのは事実だ。でも今の俺はもう、一般神羅兵に過ぎなかった自分を恥じてはいない。俺はあるがままの自分でいい。虚飾だらけの幻想なんていらない。」
クラウドは渾身の力を込めて剣を薙ぎ払った。
その瞬間、自分の周りの世界がガラスが割れるように粉々に砕け散った。そして、気付いた時には体は地面に投げ出されていた。
フラつく頭を抱えて立ち上がり辺りを見回すと、そこは飛空艇が着陸した場所とは全く別の場所だった。見上げるほどに高く広いドーム状の空間で、３６０度すべてが天然マテリアの壁だった。
足元に散らばったマテリアの欠片に気付いて後ろを振り返ると、壁の一部が割れて砕けていた。おそらく、あそこに自分は閉じ込められていたのだろう。
ハッとしたクラウドは仲間達の姿を探した。やはり彼らも、方々のマテリアの壁に同じようにして閉じ込められていた。
「みんな‥‥！」
仲間を助け出そうと駆け出したクラウドは、背筋を這う禍禍しいばかりの悪寒を感じて立ち止まった。早鐘のように鳴る鼓動が全身に伝わっていく。
ゆっくりと視線を振り向ける。目が合った。黒マテリアを渡した時に見たあの目がそこにあった。
「ジェノバ‥‥」
ジェノバの姿を漠然とは想像していたクラウドだが、今目の前に現れたそれは想像とまるで違っていた。
上半身は女性の姿で、何も身につけていないその肌は蒼ざめた陶器のようだった。そして、芸術品のように美しい上半身とは対照的に、その下半身はあらゆるモンスターを掛け合わせて生まれたような、この世のものとは思えない巨大で醜悪な生命体がそこにあった。
しかし、クラウドがもっとも目を奪われたのは、上半身と下半身を繋ぐように存在する巨大なマテリアの固まりだった。そのマテリアの中に、セフィロスの姿が見えた。
――血肉を分け与えし愚かな我が子よ。なぜ母に逆らう。
頭の中に直接響く声がした。
「俺はお前の息子なんかじゃない。みんなを放せ！」
――母が与えた揺りかごの中で眠り続けていれば、死の苦しみと向き合うこともなかっただろうに。愚かな子だ。
クラウドは殺気を感じて横に飛び退った。今まで自分が立っていた場所に大きな火柱が立ち昇る。気を抜く暇もなく電撃が襲いかかり、紙一重でそれを避けると剣を抜いて走り出した。
反撃に出ようとするが、激しい魔法攻撃の連続で近付くことすらままならない。攻撃をかわすしか術のないクラウドに対し、ジェノバは明らかに楽しんでいる風だった。
――さあ、兄弟達と仲良く遊ぶがいい。
ジェノバの下半身から複数の黒い塊が産み落とされた。ブクブクと泡を吹く黒い塊は、人型を歪めたようなモンスターへと姿を変えた。
襲いかかる黒いモンスターの群れを迎え撃ったクラウドは、次々とそれらを斬り伏せていった。
「こんな薄気味悪い兄弟は願い下げだ！」
――では、もっと親しみやすい姿に変えてやろう。
「クラウド！」
振り上げた長剣を今にも斬り下ろそうとしていたクラウドは、目の前にいるのがエアリスだと気付いて剣を止めた。
次の瞬間、クラウドは爆風によって吹き飛ばされていた。落下の際の地面に叩き付けられる衝撃も重なって、一瞬呼吸が出来なくなる。
身動きがとれなくなったところへ、さらに追い討ちの電撃が直撃した。あまりの痛みに声すら上がらず、意識が遠のきかける。
――あの２人を斬ったように、その娘も斬って見せるがいい。
「クソっ‥‥ふざけやがって‥‥」
エアリスの姿をしたジェノバのモンスターが近付いてくる。クラウドは長剣を支えになんとか立ち上がろうともがいた。
「ファイガ！」
炎マテリアの最上級魔法が放たれた。しかしそれは、クラウドを狙ったものではなかった。
炎はクラウドにとどめを刺すべく、襲いかかろうとしていたエアリスを焼き払った。
そして、仰向けに横たわるクラウドの目の前に飛び込んできた顔もまたエアリスだった。
「だいじょぶ、クラウド！？」
「エアリス‥‥本物の、エアリスか。」
「そうだよ。ごめんね、遅くなって。」
クラウドを助け起こしたエアリスは、厳しい表情でジェノバに見上げた。
「あなたが、ジェノバ‥‥」
――セトラの娘よ。とうの昔に滅び去った種族が、この期に及んでまたも我が前に立とうというのか。
エアリスはほんの少し、目を伏せた。
「‥‥セトラ、古代種‥‥私ずっと、自分のことをそう呼ばれるのが嫌いだった。その名前で呼ばれるたびに、お前は特別な存在で人とは違う、お前の仲間はもう誰もいない、お前はこの世でたった一人だ‥‥そう感じずにはいられなかったから。」
「エアリス‥‥」
彼女の思いがけない心情の告白に、クラウドはわずかばかり驚いたようにエアリスを見た。
しかし、エアリスは軽く首を振り、クラウドに屈託のない笑みを返した。
「でも、クラウド達と旅を続けて来て、そうじゃないって分かった。私の中にどんな血が流れていても、私は私。今、ここにいるのも私がセトラだからじゃない。星を救うため‥‥ううん、みんなと一緒にこれからも生きていくこの大切な場所を守るために、私はここにいる。」
――二千年前はお前の一族にしてやられたが、あの時と同じ轍は二度と踏まぬ。セトラ最後の生き残りよ、今こそお前達一族を根絶やしにして、二千年に渡る因縁を断ち切ってくれよう。
「そのセリフ、そっくりそのまま返してあげる。二千年に渡る星の痛みを思い知らせてあげるから覚悟するのね！」
「エアリス！」
叫んだクラウドは、エアリスを抱きしめるようにして地面に伏せた。網の目のように広がる電撃が体の上をかすめていった。
地面に倒れ無防備になった二人に、新たに放たれたジェノバのモンスターが迫る。
「させない！」
二人の体を飛び越えて躍り出たティファが、続けざまにそれらの敵を粉砕した。
「フルケア！」
駆け寄って来たレッドXIIIがかけた回復魔法によって、クラウドが受けた傷は見る間に塞がった。
「二人とも大丈夫！？」
「遅れてごめんよっ。」
「ティファ！レッドXIII！」
突然現れた救いの手にエアリスは顔を綻ばせたが、参戦してきたのは彼らだけではなかった。
「うおーーーーっ！くらえ、バケモノーーっ！」
「いっくぞーーー！お宝マテリア第四弾！氷結マテリア『フリーズ』！」
バレットが走りながら銃を乱射し、ユフィは魔法でジェノバに向かって巨大な氷の塊をぶつけた。
「俺様の目の黒いうちは好き勝手させねえぞコンチクショウ！」
「ありゃりゃ、もうドンパチ始まっとるやないですか。また出遅れてしもたわ〜。」
シドはダイナマイトを投げ、ケット・シーは仲間達にシールドとシェルの魔法をかけていった。
「これが、セフィロス‥‥？いや、違う‥‥身の内に感じるこの凍りつくような忌まわしさは‥‥」
銃を撃つ構えだったヴィンセントは、その銃口を下ろして目の前の敵に見入った。
「あれはジェノバだよ。二千年前の空から来た厄災、すべての元凶、星の命を蝕み続ける者。私達が本当に倒すべき相手。」
クラウドとともに立ち上がったエアリスは、再びジェノバと向き合った。
「ジェノバ‥‥これがあの、ジェノバなの？」
構えた拳を下げたティファは、戸惑いを隠せない様子で目の前のおぞましい生命体を見上げた。他の仲間達も突然の新事実に同様の反応だった。
「ここまで来てごちゃごちゃ考えてる場合じゃねえ！こいつがジェノバだろうがセフィロスだろうが、そんなこたあどっちだっていいんだよ！こいつを倒さなきゃ星を救えねえってんなら、四の五の言わせずブッ倒すまでだ！」
そんな中でバレットは、彼らに喝を入れるような怒鳴り声で叫んだ。
「そのとおりだね。相手が誰だろうと関係ないよ。」
レッドXIIIは頷いた。
「私達は私達のやるべきことを成すだけだ。」
ヴィンセントは改めて銃を構え、目の前の敵に照準を合わせた。
――全員が我が檻から抜け出しただと。お前達の望む世界を用意してやったというのに、なぜだ。
「へーんだっ。あんなチンケなまやかしに騙されるアタシ達じゃないよっ。」
ユフィはあっかんべーをして見せた。
「人を見くびるのもいい加減にしろってんだ、このスットコドッコイっ。」
シドは槍を構えてジェノバを睨み付けた。
「お前の作り上げた幻はホンマよう出来てたけどな、一つだけ欠けとるものがあるんや。」
ケット・シーの静かな口調に、ティファは頷いた。
「あなたの作った世界には、痛みがない。体じゃなくて心が感じる痛みが。私達はこれまでたくさんのそんな痛みを経験してきた。時にそれを乗り越え、時にそれを心の中に取り込んで、生きていく糧としてきたの。」
ティファは仲間達の顔を一人一人見つめてた。エアリスと目が合うと、彼女は微笑みを返してティファの言葉を引き継いだ。
「痛みなんて、本当は出会わない方がいいに決まってる。でも、今の私達があるのはたくさんの痛みと出会って来たからで、それを否定してしまったら、なかったことにしてしまったら、それは自分自身を否定するのと同じことなんだよ。」
エアリスは目を閉じた。今この時、ほんの一瞬だけ、星の声が聞こえたような気がした。
「俺達にお前の力は通じない。お前は俺達には勝てない、ジェノバ。」
ジェノバに向き直ったクラウドは、引導を渡すようにはっきりと言った。
それに対し、ジェノバからの応えは何もなかった。しかし、怒りに火を付けたのは確かなようで、前触れなく攻撃を再開した。
ジェノバの分身ともいえるモンスターが次々と生み出され、本体からも間断なく魔法が繰り出された。
分身達をティファ、レッドXIIIが引き受け、ジェノバ本体にはクラウド、ユフィ、シドが前面に立って攻勢を仕掛けた。その後方でバレット、ヴィンセントが援護射撃をし、エアリスとケット・シーが魔法による攻撃と味方への回復を同時に行った。
この時の９人は、まるで心が見えない線で繋がっているかのようだった。言葉がなくても、互いの思いを手に取るように感じることが出来た。
はじめ、ジェノバと彼らの力は拮抗していた。だが次第に、ジェノバの力に押される形になっていった。ジェノバの生み出す分身の量があまりに多く、ユフィがティファとレッドXIIIの加勢に回ったものの、消耗戦となると明らかに分が悪かった。
「あいつ、絶対手加減しとるで。ボクらをいたぶってなぶり殺しにするんを楽しんでるみたいや。」
ケット・シーは目まぐるしく仲間達に回復魔法を施しながら、ジェノバを睨み付けた。
「そろそろケリつけねえとやべえぞっ。ここで俺様達の一人でもやられたら総崩れだ！」
シドは槍を構え直しながら叫んだ。
「私達の力では決定打に欠けているのだ。このままでは戦線を維持しきれず決着も時間の問題だ。」
残弾数を確かめながら、ヴィンセントは目に伝い落ちる汗を払った。
「ユフィ、お宝マテリア第五弾はないのかいっ！？」
「あるならとっくに出してるってのっ。もう品切れだよ！」
ケンカするような口調で言い合いながらも、レッドXIIIはユフィの背後に迫っていたモンスターを蹴り倒し、ユフィはレッドXIIIが受けた毒をエスナの魔法で治した。
「このまま闇雲に攻撃していても、長引けば長引くほど勝ち目はなくなっていく。なんとか奴を一撃でしとめる方法を考えるんだ。」
剣と魔法の波状攻撃でジェノバを攻め立てていたクラウドだが、魔法を撃つ余力はすでになくなっていた。
フレアを放とうとしていたエアリスも、魔法を途中で中断した。フレアでジェノバを倒せないことはすでに実践済みだった。少しの力も、もう無駄には出来ない。
魔法を使いすぎたせいで息が上がった。その場の誰もが疲弊していた。確かに、あまり時間は残されていない。
エアリスはジェノバの上半身を見上げた。ジェノバは魔法の雨を降らせながら、時折体の下にあるマテリアの塊をなでている。その様子はまるで、妊婦が我が子の眠る下腹部を愛おしそうに愛撫する姿に似ていた。
マテリアはジェノバの子宮。そして、その中にいるのは――。
「セフィロスを助けて‥‥」
エアリスは呟いた。
聞き覚えのある台詞に、ヴィンセントが振り向いた。エアリスは目が合った彼に、自分の考えを小声で囁いた。
頷いたヴィンセントが彼女の言葉をバレットとケット・シーに伝える間に、エアリスはティファ達のもとへ駆け寄り同じ内容を繰り返した。
「ＯＫ、イチかバチかね。」
ティファは汗で張り付く髪を払いのけながらウィンクを返した。
エアリスは最後にクラウドとシドのもとへ向かった。
「聞いて。ジェノバは失った自分の体を補うために、セフィロスを取り込んでるんじゃないかと思う。だから、セフィロスとジェノバを切り離すの。セフィロスがいなければ、ジェノバは本来の力を行使出来なくなるはずだよ。」
「てことは、ツンツン頭がその長剣で奴の胴体をブッた切ればいいってこったな。でもよ、あの高さまでちょっとやそっと飛び上がったくらいじゃ届かねえぞ。かと言って、大人しく体をよじ登らせてくれるとも思えねえしな。」
「うん、だからみんなの協力がいるの。」
エアリスは作戦を手短に説明した。
「分かった。ここまで来たらやるしかない。」
「だなっ。」
クラウドもシドも異存なく頷いた。
作戦を提案したものの、果たしてこの方法で本当にうまくいくのか、正直エアリスには自信がなかった。そんな彼女の不安を、クラウドは見抜いた。
「このまま何もせずにいても、勝負は目に見えている。それにエアリスの女のカンは、これまではずれたことがないしな。」
クラウドはニヤリと笑って見せた。
「ふふ、そうだねっ。」
それを見たエアリスは、迷いが吹っ切れたように笑った。
前に進み出たエアリスはジェノバと対峙した。途端に魔法の集中砲火を浴びるが、ケット･シーとヴィンセントが放った魔法がそれらを相殺して消し飛ばした。
「いい加減疲れたでしょ。私達も早く飛空艇に引き上げて、暖かいコーヒーでも飲みたいところなんだよね。」
エアリスはうんざりした様子でため息をついて見せた。
続けてジェノバの分身達が飛びかかるが、横から飛び出したティファとレッドXIIIがエアリスに指一本触れさせず叩き伏せた。
それらを横目で見ながら、エアリスはさらに挑発の言葉を続けた。
「よっぽど私のことが嫌いみたいだね。私もあなたのことが大っっっ嫌い。だから、このあたりで決着を付けようか。二千年に渡る因縁の決着ってやつをね。」
エアリスはマテリアのはまった腕輪を上げた。そこにはユフィから渡された旋風マテリアがはめられていた。
――おもしろい娘だ。二千年前のセトラの中にはお前のような者はいなかった。その程度のマテリアで決着を付けようなどとほざく度し難い愚か者はな。
だがエアリスは、構わず魔法の発動体勢に入った。その無防備な状態の隙を突こうするジェノバから、ティファとレッドXIII、ヴィンセントとケット･シーは身を呈するようにしてエアリスを守った。
「舞い上がれ！トルネド！」
しかし、発動したトルネドはジェノバへは向かわず、あさっての方向へと迷走した。
ジェノバの口の端に嘲笑の笑みが浮かんだ。
――セトラの血筋も地に落ちたものだ。魔法もまともに撃てぬか。もういい、一族のもとへ行け。
ジェノバが両の手を天にかざす。その手の先に光が収束を始めた。
「必殺技のご披露みたいやで！」
「来るなら来なさい！私達は逃げないわ！」
ティファ達はその場から一歩も退かなかった。
エアリスはさらにマテリアに精神を集中させた。すると、トルネドが突然向きを変え、ジェノバの背後に回り込むような進路を取った。
トルネドの進路上にはユフィ、バレット、シドが待ち構えていた。ユフィは緊張気味の表情で魔法を放った。
「フリーズ！」
ユフィが魔法を発動させるのとほぼ同時に、クラウドが長剣を片手に走り込んで来た。バレットとシドは互いの両手を組み合わせると、中屈みになり足を踏ん張った。
軽く跳躍したクラウドは、バレット達の組んだ手の上に飛び乗った。その瞬間、２人は渾身の力を込めてクラウドを高く放り上げた。
ユフィが魔法で発現させた巨大な氷塊にクラウドが飛び乗ると同時に、トルネドが接触した。氷塊はトルネドの破壊力に耐え、クラウドを乗せたまま高く舞い上がった。
ジェノバの遥か頭上の高さに到達したクラウドは、剣を構え、氷塊を力強く蹴って飛び降りた。
目の前のエアリス達を一息に葬り去ろうと意識を集中していたジェノバは、クラウド達の一連の動きに最後まで気付かなかった。
弾丸のような速さで落下するクラウドは、その勢いのまま全身全霊の力を剣に込め、ジェノバの胴に目がけて振り抜いた。
斬った、という手応えは不思議と感じられなかった。だが、何かと何かを繋ぐ糸を断ち切ったという感触だけははっきりと残った。
地面に叩きつけられる寸前、クラウドはレビテトの魔法で宙に留まった。
「やったーーーーっ！！！」
ユフィとレッドXIIIが同時に叫ぶ声が聞こえた。
振り仰ぐと、ジェノバは両手を上げた姿勢のまま、ゆっくりとすべり落ちようとしていた。収束していた光は拠り所を失い四散した。
「今だ！」
「これが二千年分の星の痛みよ！フレア！」
ジェノバへと駆け寄りながら、エアリスは核熱マテリアを発動させた。
圧縮された灼熱の熱波が、ジェノバの体を包み込んだ。
フレアが放つ焼け付く業火に臆することなく、間近まで迫ったエアリスは、その傍らに立ち、朽ち果てていくその姿をじっと見つめた。
その時、ジェノバの顔が笑った。
――これで勝ったつもりか、セトラの娘よ。
「まだ生きてるのかよ！？」
バレットは慌てて右腕の銃を構え直した。
――この星の終焉は、すでに決定している。メテオは決して止まらぬ。お前達に止めることなど出来ぬ。そして、我が血を受け継ぐ者は大勢いる。最後に、勝つのは‥‥
炎と共に、ジェノバの体は跡形なく消え去った。
「‥‥終わった‥‥の？でも今の言葉は‥‥」
ティファは寒気を感じながら呟いた。
「ふ、ふんっ。負け惜しみだってば、あんなの。最期の最期まで往生際の悪い奴っ。」
ユフィは憤然として言ったが、それこそ負け惜しみのように聞こえた。
その時、ガツンという地の底から突き上げるような衝撃が伝わった。続けてそれは、激しい振動へと変わった。ドーム状のマテリアの壁に、無数の亀裂が入り乱れていく。
「シィーーーット！崩れるぞ！」
シドはドーム全体を揺さぶるような揺れによろめきながら叫んだ。
「早いとこ逃げようぜっ！‥‥て、出口はどこなんだよ！？」
バレットは狂ったように辺りを見回した。
ドンッという何か重い物が落ちる鈍い音が響いて、エアリスは振り返った。
セフィロスのマテリアがジェノバの下半身を離れ、地に突き刺さっていた。さらにそこから大きなひび割れが走り、彼らの足場を崩落させた。
ジェノバから比較的離れた位置にいた者達は、寸でのところで巻き込まれずに済んだ。
しかし、そばにいたクラウドとエアリスは、逃げる間もなくセフィロスのマテリアと共に、割れた穴の中へと落ちていった。