クラウド達を乗せた脱出ポッドは無事に宇宙からの帰還を果たし、ウータイの遥か沖合の海に着水していた。
現在地を知らせる信号を発信し、あとは飛空艇に拾われるのを待つばかりだった。
クラウドとエアリスは疲れが出たのか、もたれ合うようにして眠ってしまっていた。シドとシエラはモニターに映る海をぼんやりと眺めていた。
「そろそろハイウインドが来る頃ですね、艇長。」
「そうだな‥‥」
「そうしたらまた、皆さんと一緒に行ってしまうんですね‥‥」
「まあな。今更俺様だけ降りる訳にはいかねえからな。‥‥なあ、シエラ。」
「はい、なんですか？」
シドはチラッとクラウドとエアリスに視線を走らせ、眠っているかどうか確認した。
「あ、あのな、前に失敗した神羅２６号の打ち上げのことなんだがよ‥‥」
「ええ‥‥」
「あれは‥‥おめえが正しかったぜ。」
「え？」
「あのあと、おめえがしきりに気にしてた例の酸素ボンベを再チェックしてみたんだ。そしたら、やっぱりイカレてやがった。あのまま打ち上げを強行していりゃ、俺様は間違いなく宇宙の藻屑になってたろうな。‥‥おめえにはずっと感謝してた。だが、俺様は心の狭い人間でい。おめえに命を救われたことを棚に上げて悪態ばかりついてた。‥‥すまねえ。」
シドはあさっての方を向いたまま、わずかに頭を下げた。
「‥‥いいえ。いいえ、いいんです。ありがとう‥‥」
シエラは自然に溢れてくる涙を指で拭った。
「えらいっ、シド！よく謝れたね！」
突然、エアリスが拍手した。
「な、なんだおめえ！寝たフリしてたのか！」
シドはいたずらの現場を押さえられた子供のように、みっともなく慌てふためいた。
「よかったね、シド。」
「何がよかったでいっ。底意地の悪いマネしやがって！」
「でもこれで、長い間心の重石になってた物が取れたでしょ？」
エアリスはポンとシドの背を叩いた。
「‥‥けっ、好き勝手なことぬかしやがって。」
シドは照れ隠しのように怒ったフリを装っていた。エアリスとシエラは顔を見合わせて小さく笑い合った。
それからしばらくして、飛空艇が彼らを発見した。ロケット村へと引き返し、シエラだけを降ろすと再び飛び立った。
「よかったですわ〜、皆さん無事で。パルマーが脱出ポッドを勝手に射出させた時はどうなるかと思いましたけど、ホンマによかった！」
ケット・シーはデブモーグリの上でぴょんぴょんと嬉しそうに飛び跳ねた。
「そうだ、あのふとっちょ野郎はどうした？一発ブン殴ってやらねえと気がすまねえぜ！」
シドは拳と手のひらを打ち合わせた。
「それなら安心してよ。オイラが代わりにボコボコにしといてやったからさ。」
レッドXIIIはニヤリと笑った。
「おっ、ありがとよ。しかし、これでめでたしめでたしとはいかねえよな。ロケットの打ち上げは成功したが、肝心のメテオを吹っ飛ばせなかったんじゃどうしようもねえ。」
シドは力が抜けたようにどっかりと座席に座り込んだ。
「一度や二度の失敗でへこたれてる暇なんかないよ。まだまだこれからなんだから。」
メテオが依然として健在であると分かってからも、エアリスは落ち込んでなどなかった。
「例えメテオが手が届きそうなほどに近付いて来たって、私絶対に諦めない。そうなったら今度は、バットでカーンと打ち返してやるだけだよ。」
「う〜ん、エアリスならホントにやっちゃいそうなとこがコワイね〜。」
ユフィが真面目くさって言うと、仲間達の間からドッと笑いが起こった。
「ところでクラウドはどうしたの？戻って来るなり医務室に担ぎ込まれたりして、どこか怪我でもしたの？」
ティファは訊いた。
「怪我じゃないんだけどね。ちょっと困ったことになっちゃって‥‥」
エアリスは苦笑いして事の次第を説明した。
事情を聞いた一同がさらに大笑いしたところへ当の本人がやって来た。
「あ、クラウド。もう起きてだいじょぶ？乗り物酔い治ったの？」
「クラウドまで乗り物酔いする体質だったとはね。オイラびっくりだよ。」
「お仲間だねえ、クラウド〜。乗り物酔い同盟、祝結成！‥‥うぷっ。」
「乗り物酔いって回復魔法は効かないのかしら。試してみる？」
「乗り物酔いに効く薬はない。酔わないようにすることが肝心らしい。」
「空の男の俺様には乗り物酔いなんざ無縁の代物でい。」
「乗り物酔いにはコップの水を逆さから飲むといいって聞いたことあるぜ。」
「ちゃいますよ〜。それはしゃっくりの止め方。乗り物酔いにはですね〜‥‥」
「‥‥うるさいな！乗り物酔い乗り物酔いって連呼するな！‥‥うっ。」
青い顔をしたクラウドは、よろけるように手近な座席に座り込んだ。
「エアリスから話は聞いたが、お前元々乗り物に酔いやすい体質だったんだってな。」
バレットはニヤニヤと今にも笑いが飛び出そうな顔で言った。
「‥‥まあな。『元ソルジャーのクラウド』を演じている間の俺は、乗り物酔いする体質のことも忘れていたみたいなんだ。元に戻ってからもしばらくは忘れたままだったんだけど‥‥」
「宇宙ロケットなんていう乗り心地最悪のモンに乗っちまったことで、乗り物酔い体質が甦ったってことか。」
「難儀なこっちゃなあ。」
同情めかしてはいるが、ケット・シーは懸命に笑いをこらえている。
「それだけは忘れたままでよかったのにねえ。」
ユフィの言葉にはいやという程の実感がこもっていた。とうとう耐えきれずに仲間達は笑い出した。
「ロケット作戦が失敗して暗くなりがちだったけどよ、クラウドのおかげでそんな辛気くささもすっかり吹き飛んだなっ。」
「あのな、俺の乗り物酔いは場を和ませるための隠し芸かっ。」
肩を叩くバレットの手を、クラウドはふてくされ気味に払った。
「そんなに気にすることないと思うよ、クラウド。」
エアリスは横からクラウドの顔を覗き込んだ。
「乗り物に弱いのもクラウドの一部でしょ。これで１００％、元のクラウドに戻ったってことだもんね。」
「‥‥そういう考え方も出来るんだな。まあ、乗り物酔いといってもユフィほどひどくはないし、それに自分よりタチの悪い乗り物酔い体質がいると思うと気が楽だ。」
「あ〜っ、クラウドの裏切りモノ〜！仲間だと思ってたのに！こうしてやる〜っ！」
ユフィはクラウドの座っている座席をぐるぐると回転させた。
「や、やめっ、ユフィ‥‥うっ。」
「へへ〜ん、ざまーみろ〜。‥‥うぇ、気持ちワル‥‥」
回した本人も青くなって座り込んだ。
「アホの見本か、お前は。」
バレットは呆れ果てて言い、周囲からはさらなる笑いが起こった。
「楽しそうじゃな。」
ブリッジにブーゲンハーゲンが現れた。
「あ、じっちゃん。どこ行ってたの？聞いてよ、ユフィってばおかしいんだよ‥‥じっちゃん、なんだか顔色が悪いよ？」
レッドXIIIの言うとおり、ブーゲンハーゲンの様子は普段と違っていた。
「‥‥すまんが、クラウド。わしをコスモキャニオンまで送り届けてくれんか？」
「それはかまわないけど、どうしたんだ、急に？」
「いやなに、ホームシックというヤツじゃよ。ホーホーホウ‥‥」
ブーゲンハーゲンの笑顔が突然、苦痛に歪んだ。胸を押さえてその場に崩折れる。
「じっちゃん！」
レッドXIIIが真っ先に駆け寄った。
「し‥‥心配ない。いつもの軽い発作じゃ‥‥よ。」
「発作！？じっちゃん病気なの！？じっちゃん！」
応答はない。ブーゲンハーゲンは意識を失っていた。
ブーゲンハーゲンの突然の異変に、一同は慌てた。飛空艇内には一応の医務室が設けられてはいるが、常時医者が詰めている訳でもなく、こうした突発的な病には対処出来なかった。
彼らはすぐさまブーゲンハーゲンをコスモキャニオンへと運んだ。
ブーゲンハーゲンを彼の家の寝室に寝かせ、主治医の診察が終わるまでの間は、クラウド達にとって息苦しい時間だった。
「ブーゲンハーゲン様の体はここ数ヶ月の間に、ひどく弱っておられたんだ。今回、外に出るとおっしゃられた時も止めたのだが‥‥」
寝室から出てきた医者の表情は暗かった。
「じっちゃんは‥‥どうなったの？大丈夫なの？ねえ！」
「先程目を覚まされた。お前さんに会いたがっておられるよ。」
「行って来いよ、レッドXIII。俺達はコスモキャンドルのところで待ってるから。」
クラウドに促され、レッドXIIIは部屋へ入って行った。
ブーゲンハーゲンは目を閉じてベッドに横たわっていた。まだ顔色が悪い。レッドXIIIが近付くと、気配を察して目を開けた。
「‥‥じっちゃん。」
「何を景気の悪い顔をしておるんじゃ、ナナキ。辛気くさいヤツじゃのう。」
ブーゲンハーゲンは笑って軽口を叩いた。
「ゴメンよ、じっちゃん。オイラ、じっちゃんの体がこんなに悪くなってるなんてちっとも知らなかった‥‥。本当に、ゴメン‥‥」
「お前が謝ることなどこれっぽっちもないぞ。歳じゃよ。わしの体もいい加減骨董品じゃ。ガタが来て当然じゃよ。ホーホーホウ。‥‥まあ、あと少しはもつかと思っておったが、意外と早かったようじゃな。」
ブーゲンハーゲンはポンポンとレッドXIIIの頭をなでた。
「ナナキ‥‥わしはこれから旅に出る。」
「旅？」
「ああ、旅じゃ。誰もがいつかは赴く旅じゃよ。」
「じっちゃん、それって‥‥」
「だが、どこにいても、わしはお前を見ておるよ。お前が成すこと、お前が目指す未来。わしはそれをずっと見続けておる。」
「じっちゃん‥‥じっちゃん‥‥」
レッドXIIIはそのあとの言葉が続かなかった。何か言葉を発したら、それと同時に涙がこぼれ落ちそうだった。
だが、泣きたくはなかった。じっちゃんもオイラの泣き顔なんて見たくないだろうし、また見せたくもない。何か言葉をかけてやらなければとは思うが、それ以上に涙だけは見せてはならないと思った。
そんなレッドXIIIを、ブーゲンハーゲンは優しい目で見つめた。
「‥‥強くなったな、ナナキ。力だけでなく心も強くなった‥‥。わしはお前を誇りに思うよ。」
「オイラは戦士セトの息子、戦士ナナキ。そして、じっちゃんのことが大好きなナナキだよ‥‥」
ブーゲンハーゲンは笑った。その穏やかな微笑みのまま、ゆっくりと目を閉じた。
コスモキャンドルの前に集まっていたクラウド達の前で、その炎が突然何かに反応するように激しく燃え上がった。
「旅立たれたか‥‥」
ハーゴ長老は静かに呟いた。クラウド達は何かを語るように揺れ動く炎を、厳粛な面持ちで見つめた。
しばらくして、レッドXIIIが戻って来た。
「レッドXIII‥‥」
声をかけてはみたものの、クラウドは次の言葉が浮かばなかった。
「みんな‥‥じっちゃんはね、旅に出るってさ。今回みんなと旅したことがよほど気に入ったんじゃないのかな。今度は気ままに一人旅をしてみるって。ホント、じっちゃんらしいよね‥‥」
「そうか‥‥。それじゃ、どこかで会えるかもしれないな。いつかまた出会うための旅。ブーゲンハーゲンが向かった旅はそういう旅だと俺は思うよ。」
「うん‥‥そうだね。ありがとう、クラウド‥‥」
レッドXIIIは仲間達の輪に入り、共にコスモキャンドルの炎を見つめた。
その夜、コスモキャンドルの周りに村人達が集まった。彼らはブーゲンハーゲンにまつわる思い出を語り合った。
愉快なこと、感動的なこと、取るに足らない些細なこと。話は溢れ出る泉のようにいつまでも尽きなかった。まるでその場にブーゲンハーゲンがいるかのように、生き生きと話が紡ぎ出される。これがコスモキャニオン流の送り方だった。
クラウド達もその集いに参加していた。しばらくして、その輪から一人ヴィンセントが離れた。
ヴィンセントは広場から少し離れた高台に昇った。そこからは広場全体が見渡せた。
人々の話し声を遠くに聞きながら目を閉じた。閉め出していた思い出がゆっくりと流れ込んでくる。
「‥‥ント、ヴィンセント。」
彼女が自分を呼ぶ声が聞こえる。もう随分長い時間その声を聞いていないが、それでも彼女の声ははっきりと思い出せた。
「ヴィンセント、どうして昨日のパーティーに来なかったの？」
「あ、ああ‥‥」
「Ｊ−プロジェクトの立ち上げパーティーだったのよ？保安責任者が顔見せなくてどうするの。」
「人の集まる場所は苦手なんだ‥‥」
「そういうことか。ふふっ、しょうのない人ね。」
彼女は白衣の裾をはためかせてくるりと一回転すると、にっこりと笑った。
彼女の名は、ルクレツィア。
彼女との思い出が早回しの映画のように、次々と頭の中を流れる。
「‥‥私、あの人のことが、好き。彼の力になりたい、彼の為に何かしたいって、そう強く思うの‥‥」
少女のようにはにかんだ微笑み。彼女の目はキラキラと輝いていた。
それが君の気持ちなら‥‥私は構わない。私が望むのは、君の幸せだけなのだから。
「ヴィンセント、あなたは分かってくれるわよね。彼はこの実験にすべてを賭けている。だから私も、この身と命を賭ける‥‥」
違う‥‥それは間違っている。私は君に幸せになってほしいだけだ。あんな非人道的な実験に君がその身を委ねるなど、許せるはずがない。
しかし私は、彼女を止めることが出来なかった。力尽くでも、例え神羅を敵に回してでも止めるべきだった。私なら、それが出来たはずだ。それなのに、私は何をしていたのだろう‥‥。
ふいにヴィンセントは現実に引き戻された。背後に異様な気配を感じた。
反射神経の命ずるままに、体をひょいと脇にずらす。その横を握り拳がブンと素通りした。
「おっと、はずしちゃった。」
ヴィンセントの背後に立っていたのはエアリスだった。どうやら彼の頭にゲンコツを叩き込むつもりだったらしい。
「エアリスったら、また‥‥」
その隣でティファが困ったように苦笑している。
「なんのつもりだ、エアリス？」
「自分の世界に引きこもった人を呼び戻すには、この方法が一番なの。ヴィンセントこそ何してるの？」
「‥‥」
「こんなところで、ボーッと座り込んでる場合じゃないでしょ。どうしてすぐにルクレツィアさんを探しに行かないの？」
ヴィンセントは驚いた表情でエアリスを見上げた。
「なぜ、それを‥‥」
「ごめんね、ヴィンセント。立ち聞きするつもりじゃなかったんだけど、聞いちゃったの。飛空艇のそばであなたとタークス達が話してるのを。」
ティファは少々バツが悪そうに肩をすくめた。
「私達と一緒にここまでやって来たのは、ルクレツィアさんに会いたかったからなんだよね？私達も手伝うから、探そ。ね？」
エアリスはヴィンセントの腕を取った。
「私は‥‥まだ彼女と向かい合う決心がついていない。彼女を前にしても、何を言っていいのか分からない。」
「特別なことを言う必要はないんじゃないかな。ヴィンセントが今まで思ってきたこと、そして今思っていることを素直に話してみたらいいと思うよ。」
それでもヴィンセントは立ち上がる気配を見せなかった。何事か考えるようにエアリス達から目をそらし、広場に集う人々に目を向けた。
エアリスは再度口を開きかけたが、ティファが首を振りそれを止めた。彼にもう少し時間をあげよう。ティファの目はそう言っていた。
広場を見つめるヴィンセントの視線は、風に舞う木の葉のように頼りなげに彷徨った。
私は一体何をしているのだ？こんなところにただ座り込んで‥‥。
その視線が、ある一点で止まった。ヴィンセントが全身で息を呑むのが、隣にいたエアリスにも感じられた。エアリスは彼の視線の先を追った。
そこには、コスモキャンドルの前で佇む一人の女性がいた。
「あの人ね？そうなのね？」
「え？何が？」
１人事情の飲み込めていないティファが、きょとんとして聞き返した時にはすでに、エアリスは高台から駆け下り始めていた。そのあとを弾かれたように立ち上がったヴィンセントが追う。
しかし、コスモキャンドルの前にエアリス達が着いた時には、彼女の姿はすでに人混みに紛れてしまっていた。
「どこに行っちゃったの？」
エアリスは周囲を隈無く見回したが、見つけることは出来なかった。
同じように辺りに目を配っていたヴィンセントが、やがて何かに引かれるようにして歩き出した。
「ヴィンセント？」
エアリスは彼のあとを追いかけた。
ヴィンセントは広場を抜け、村の裏手へと回った。谷へ降りる岩だらけの道に入り込み、黙々と歩いて行く。
途中から水の流れる音が聞こえはじめ、唐突に彼らは滝の前に出た。
「コスモキャニオンに滝があったんだ。」
訳が分からないまま２人のあとについて来たティファが、意外そうに言った。
それほど大きな滝ではない。しかし、この小さな滝は岩山ばかりで乾燥したコスモキャニオンにあって、見る者に心地よい潤いを与えてくれた。
夜空の明るい月の光に照らされて、流れ落ちる水がキラキラと輝いている。
エアリスは滝から少し離れた開けた場所に、小さな家が建っているのを見つけた。
「あそこに家がある。ヴィンセント、もしかして‥‥」
「‥‥彼女は水の流れが好きだった。水のある場所に住みたいとよく言っていた。ここに着いてから村人に水辺のそばにある家はないかと尋ねたら、この場所を教えてくれた。」
「そっか。彼女の居場所の見当はもうついてたんだね。」
出し抜かれたと言いたげに、エアリスは苦笑した。
３人は水辺のそばに寄り固まって、待ち人の帰りを待った。
「ね、ヴィンセント。この際だから訊いてもいいかな。どうして今みたいな体になったの？歳を取らなかったり、モンスターに変身出来たり‥‥。やっぱり、宝条博士に何かされたから？」
エアリスの質問にヴィンセントはしばらく黙り込んでいたが、やがて重い口を開いた。
「ガスト博士と宝条が推し進めていたＪ−プロジェクト。その計画の最終段階となる実験が、母親の胎内にいる胎児にジェノバ細胞を組み込むというものだった。そして、その被検体となったのがルクレツィアだ。」
「彼女のお腹にいた赤ちゃん、それがセフィロスなのね。赤ちゃんにジェノバ細胞をなんてひどい話よね‥‥あ。」
ティファは失言をしてしまったと口に手を当てた。その実験を行っていた当事者は、他ならぬエアリスの父親なのだ。
「気を使わなくていいよ。ホントのことだもの。」
エアリス努めて平静を装って言ったが、その表情にはわずかばかりの曇りがあった。
「あの当時、ガスト博士はジェノバを古代種と信じていたのだから、彼ばかりを責めることは出来ないだろう。彼は本当にいい人だったよ。それは忘れないでくれ。」
ヴィンセントの言葉に、エアリスの心は幾分軽くなった。
「だが、ジェノバが古代種であれなんであれ、そんな実験にルクレツィアの身が使われるなど、私にはとても耐えられなかった。ルクレツィアを止めようとしたが、彼女の意志は固く決心を翻させることは出来なかった。私は責任者であるガスト博士に直接談判に行こうとした。ガスト博士なら話せばきっと分かってくれる。実験を中止してくれるだろうと思った。しかし、宝条に博士との面会を妨げられた。そこで私達は言い争いになり、怒りに駆られた宝条に私は撃たれた。次に意識を取り戻した時には、何もかも終わっていた。セフィロスを産んだルクレツィアは姿を消し、宝条らプロジェクトのスタッフは別の研究所へと移動していた。残された私は自分の体にどんな異変が起こったのかを知り、そして‥‥あとは知ってのとおりだ。」
「そうだったの‥‥」
「そして、恐らく私の体にも、ジェノバ細胞が埋め込まれていると思う。」
「えっ？」
ティファは思わず声を上げた。
「こんな特殊な力を身に付けさせるには、ジェノバの力を使わなければ不可能だろう。そして、ルクレツィア。彼女の体にも実験によるジェノバの影響が出ているはずだ。」
「ルクレツィアさんもヴィンセントと同じように、歳を取らない‥‥」
エアリスは広場でチラリと見かけた彼女の姿を思い浮かべた。確かに歳格好は自分達とそれほど変わらなかった。
「あっ‥‥」
ティファの短い驚きの声につられて、エアリスとヴィンセントは振り返った。
３人がさきほど歩いて来た道から、一人の女性が現れた。長い髪のほっそりとした女性。同性のエアリス達から見ても美しい顔立ちの人だった。
しかし、青白い月の光に浮かび上がるその姿は、今にも消え入りそうなほどに儚く感じられた。
女性は人の気配に気付いて立ち止まった。
「どなた？」
「あの、ええと‥‥」
ティファは口ごもりながらエアリスの上着の裾を引っ張った。
「ねえ、私達がついて来たのってまずくなかったかしら。」
「どうして？」
「だって、久しぶりの再会の場面に女連れだなんて‥‥」
ヒソヒソと囁き合うティファとエアリスを、女性は訝しげに見つめている。そして、その後ろに佇むヴィンセントに気付いた。
ヴィンセントはゆっくりと前に進み出た。月の光のもと、ヴィンセントの顔は彼女にはっきりと見えた。
「ヴィン‥‥セント？」
ルクレツィアは幻でも見るような呆然とした表情で、ヴィンセントに近付いた。
「ヴィンセント‥‥ヴィンセント‥‥。でも、そんな‥‥あなたは死んだって聞かされたわ。」
「私は、生きている。君を‥‥探していた、ルクレツィア。」
ルクレツィアはゆっくり手を伸ばし、トゲのある花に触れるような怖々とした手つきで彼の頬に触れた。
「生きていたのね、ヴィンセント‥‥」
嬉しそうに笑った。しかしその直後、その表情に疑念とわずかな怯えの色が混じった。
「なぜ‥‥？どうしてあなたはあの時のままなの？あれからあんなに時が経っているのに。」
ルクレツィアはハッとして頬に触れた手を引いた。
「宝条博士に、あの人に何かされたのね？そうなんでしょう？‥‥ジェノバ。ジェノバ細胞ね？私と同じに‥‥」
ルクレツィアは後ずさるようにしてヴィンセントから離れた。
「‥‥一体どういうことなの？今になってあなたまで現れるなんて‥‥」
「あなたまで？どう意味だ、ルクレツィア。」
「宝条博士もここへ来たの。つい最近のことよ。」
「宝条が！？‥‥彼とはよく会っていたのか？」
ルクレツィアは首を振った。その仕種には少しばかり寂しさが感じられた。
「あの人とはあれ以来会ってないわ。だから驚いたの。私のことなんてもう忘れてしまったと思っていたから‥‥」
「奴は‥‥宝条は何をしに来たんだ？」
「‥‥何も。ちょうど、今のあなたみたいにそこに立って、私の帰りを待っていたわ。彼は何も言わなかった。ただジッと私のことを見つめて‥‥。そして、去って行った。」
ルクレツィアは歩み去って行く宝条の影を追うように、視線を動かした。
「本当におかしなことばかり続いてる‥‥。ヴィンセント、私ね、最近よく夢を見るの。あの子の夢‥‥。私の子供、セフィロスの‥‥」
セフィロスの名前が出たことに、エアリス達は少なからず緊張した。
「でも、あの子を私の子供と果たして呼べるのかしら。私はあの子を一度だって抱いたことすらないんだから‥‥。だけど、夢を見るの。あの子が必死に助けを求めている夢。‥‥おかしいわよね。あの子は、セフィロスはもう５年も前に死んでいるはずなのに。でも、私は感じるの。セフィロスがこの世のどこかで今も生きているって、そう思えてならないのよ。だって、あの子も私と同じ‥‥。ジェノバ細胞の力で簡単には死なない、死ぬことの出来ない体なんだから。」
「聞いてくれ、ルクレツィア。セフィロスは‥‥」
「え？」
ヴィンセントはそこで声を失ってしまったかのように、口をつぐんだ。ルクレツィアから目を逸らし、言葉を探すようにして彷徨わせた視線がエアリスを捉えた。エアリスはただ黙って頷いた。
「‥‥セフィロスは、生きている。」
ヴィンセントの言葉を聞いても、ルクレツィアの表情は変わらなかった。驚いていない訳ではない。信じていない訳でもない。その言葉は彼女にとってあまりに唐突過ぎたからだ。
「セフィロスは生きている。‥‥メテオを呼び、この星を死に追いやろうとしているのは、他ならぬ彼だ。だから、私は彼を――」
「ヴィンセント！」
たまらず、ティファが叫んだ。
「セフィロスを殺すの？」
ヴィンセントの台詞の先をルクレツィアは鋭く察した。
とてつもなく重い物を背負ったように、ヴィンセントはぎこちなく頷いた。
「‥‥そんなことを言うために、わざわざやって来たの？今頃になって過去の亡霊のように現れて、私の子供を殺すことを告げに来たの？あなたは‥‥」
背を向けてしまったため、ルクレツィアの表情はヴィンセント達には分からなかった。だが、その肩が小さく震えていた。
「君には知る権利があると思った。セフィロスがどうなったのか、今何が起こっているのかを‥‥」
「どうして私が知る必要があるなんて思うの？そんなことを知らされて私がどんな気持ちになるか、考えてみなかったというの！？」
「すまない‥‥。だが、君に隠し事をしたくなかった。ちゃんと話さなければならないと、そう思ったんだ。」
「‥‥」
「すまない‥‥」
「‥‥いいえ、あなた悪くない。すべてのことから逃げて、耳を塞いでいたのは私の方なのだから。‥‥ごめんなさい。」
振り返ったルクレツィアは、泣きながらも微笑もうとしていた。
「ふふ‥‥久しぶりに泣いたわ。涙なんてとうの昔に枯れ果てたと思っていたのにね。」
ヴィンセントの背後に近付いたティファが、そっと彼の手にハンカチを握らせた。受け取ったヴィンセントは、ためらいがちにそれをルクレツィアに差し出した。
「ありがとう‥‥。ヴィンセント、私はこれまで過去を後悔しないと心に決めて生きてきたわ。Ｊ−プロジェクトに参加したことも、その結果、普通の人達とは違う時間の流れを生きることになったこともすべて。自分で選んだ道なのだから、決して悔いはしない‥‥。でも、それは自分の心に対するごまかしだった。あなたに会って、それがよく分かった。」
「ルクレツィア‥‥」
「私はこのコスモキャニオンに来るまで、いろんな土地を転々として来たわ。こんな体だし、同じところに長くはいられない。人との関わり合いも出来るだけ避けてきた。‥‥でも、本当の理由はそうじゃない。後悔しないと言いながら、本当は心の奥底でずっと悔やみ続けていたのよ。出来ることなら死んでしまいたかった。でも、私は死ねない。だから、自分という存在をこの世から消してしまおうとしていたんだわ‥‥」
ルクレツィアは手にハンカチを握りしめたまま、顔を覆った。
「あの、ルクレツィアさん。」
エアリスはためらいがちに切り出した。見ず知らずの赤の他人である自分が、口を挟む場面ではないことはよく分かっていた。だが、どうしても彼女に尋ねてみたいことがあった。
「セフィロスを産んだこと、後悔してるの？」
長い間があって、ルクレツィアは答えた。
「‥‥いいえ。どんな形であれ、あの子は私の子供だもの。私が後悔しているのは、あの子を産んだことでも、こんな体になってしまったことでもない。私はなぜあの時、セフィロスを奪って逃げなかったのか。例え一生神羅に追われることになったとしても、そうすべきだったのに‥‥！」
苦しげに心の内を吐露する彼女を見て、エアリスは唐突に自分の母のことが思い出された。
似ている様な気がする。私達親子とこの親子は。母は私を連れて逃げ、この人はそれが出来なかった。その行動に大きな差はあるけれど、子を思う気持ちは同じなのだ。
ルクレツィアは握りしめている物がハンカチであることに、ようやく気付いたように涙を拭いた。
「本当にすまなかった、ルクレツィア。突然現れて、君を悲しませるようなことばかり言ってしまった。‥‥私達はこれで帰る。」
「‥‥」
ヴィンセントとルクレツィアは見つめ合った。その視線を先に逸らしたヴィンセントは、彼女の脇をスッと通り過ぎ、来た道を戻って行った。
置いてけぼりにされそうなったエアリスとティファが、そのあとに続いた。
「このまま帰ってしまっていいの？何も解決していないような気がするけど‥‥」
ティファはヴィンセントの背中に向かって言った。
「いいんだ。一度の再会で長い時の溝が埋められるとは思っていない。今は‥‥これだけでいい。」
「それはそうだろうけど‥‥」
ティファは意見を求めるようにエアリスの顔を見た。エアリスは首を振った。確かに時間は必要だろう。それに‥‥。
「今度は、あの人の方から会いに来るような気がする。」
エアリスはティファだけに聞こえるように言った。ティファはきょとんとして見返した。
３人が広場に戻って来た時には、空にはうっすらと白い光が射し始めていた。
一晩語り明かした人々が、コスモキャンドルの周りで雑魚寝していた。中にはまだ話をしている人もいる。
「おはようさんです〜。お三方ともどこに行ってらしたんです？」
村人と話をしていたケット・シーが、三人に気付いて手を振った。仲間達の中で徹夜をしたのはケット・シーだけのようだ。
「ちょっと、ね。みんな寝ちゃってるね。」
「ホンマ、こんな固い地べたの上でよう眠れるもんですわ。ま、さすがといえばさすがですな。」
何がさすがなのか分からないが、ケット・シーは陽気に笑った。
「さ〜て、安眠中の方々はほっといて夜明けのコーヒーでも飲みに行きませ‥‥んん！？」
「どうしたの、ケット・シー？」
「ちょ、ちょっと待って下さい‥‥。今、神羅の緊急通信が‥‥」
ケット・シーは何かに耳を澄ますように微動だにしなくなった。エアリス達はやや不安げに彼の次の言葉を待った。
「こら大変や。ウェポンが‥‥」
「ウェポン！？」
「ウェポンがミッドガル沖に現れましたんや！」
「ウェポンだと〜！あの化け物がミッドガルに近付いてるってのか！」
途中から目を覚ましていたバレットは、ガバッと跳ね起きた。
「は、はい。ミッドガルを目指して現在進行中やそうです。」
「こうしちゃいられねえ！あそこにはマリンがいるんだ！ミッドガルに行くぞ！こらっ、シド、起きろ！早いとこ飛空艇のエンジンかけやがれ！」
バレットは寝転がっているシドを蹴飛ばした。
乱暴に叩き起こされたシドは寝ぼけ眼で不機嫌そうにしていたが、ウェポン襲来の話を聞くと眠気もすぐに吹き飛んだ。
全員が飛空艇に乗り込み、いざ出発という時になってティファが叫んだ。
「待って待って！ストップ！」
「何が待ってなんだよ、ティファ。早く行かねえと――」
「分かってるけど待って！外にルクレツィアさんが来てるの！」
ティファは窓の外を指さした。
「ルクレツィアって、あのルクレツィアか？セフィロスを産んだっていう‥‥。その彼女がここにいるのか？」
昨夜の出来事を知らないクラウド達には、寝耳に水の話だった。
「ヴィンセント、早く行って！あの人、あなたに会いに来たんだからっ。」
エアリスはヴィンセントをブリッジから強引に連れ出した。
二人に追い立てられるようにして飛空艇を降りたヴィンセントは、ルクレツィアの元へと向かった。
「飛空艇が来ているというから、もしかしたらと思ったの。‥‥行ってしまうの？」
「ああ。ミッドガルにウェポンが近付いている。放ってはおけない。」
「ウェポン‥‥。それも、セフィロスのせい？」
「分からない。だが、無関係とも言えないだろう。」
「‥‥」
２人の間に無言の時が流れた。
「‥‥もう行かなくては。」
「ヴィンセント。」
背を向けかけたヴィンセントを、ルクレツィアは呼び止めた。
「宝条博士が私に会いに来た時、これを置いていったの。」
ヴィンセントは訝しげに振り返り、ルクレツィアが手に持っている小瓶を見つめた。
「博士が開発した薬。これを使えば、私でも死ぬことが出来るそうよ。今頃になって彼は、私の願いを叶えに来てくれたのかもしれないわね‥‥」
「なんだって‥‥？ルクレツィア、まさか‥‥」
「昨日までの私なら、これをいつ使ってもおかしくなかったでしょうね。でも‥‥もう逃げるのはやめるわ。」
ルクレツィアはヴィンセントに小瓶を手渡した。
「宝条博士に会ったら、これを返しておいて。私にはもう必要のないものだからって、そう伝えて‥‥。引き留めたりしてごめんなさい。」
「ルクレツィア！」
立ち去ろうとするルクレツィアを、今度はヴィンセントが呼び止めた。
「‥‥ヴィンセント、セフィロスを‥‥」
「え‥‥？」
「セフィロスを助けてあげて。あの子は助けを待っているの。」
ルクレツィアは振り向いた。微笑んでいる。朝靄の中で霞むその姿は、悲しげな聖母の肖像のようだった。
「それじゃあ、気を付けてね、ヴィンセント。」
「‥‥また、会いに来る。必ず、君に‥‥」
少し間があった。ルクレツィアは無言のまま彼に背を向けた。
ヴィンセントの心が落胆の影に覆われようとした時、微かに、本当にわずかばかりの仕種で彼女は頷いた。
ルクレツィアを見送ったヴィンセントは飛空艇へと戻った。
「ヴィンセント。」
昇降口ではエアリスとティファが待っていた。
「‥‥まだ何も解決してはいない。すべてはこれからなんだ。」
笑みを浮かべて自分を見ている２人の視線を避け、ヴィンセントは足早にブリッジの方へ歩いて行った。
「すべてはこれから‥‥そうだね。」
ティファは呟いた。
エアリスはルクレツィアが言った言葉を思い出していた。
セフィロスを助けて、か‥‥。ザックスも同じ様なことを言っていた。何か大切なことを見落としている。そんな焦りにも似た思いに駆られた。
エアリスの思考は、走り込んで来たバレットの怒鳴り声で中断された。
「何してんだ！出発するぞ！ドア閉めろ！」
「は、はーい！」
慌ててティファは入り口の開閉ボタンを押した。
飛空艇は空高く飛び立った。
目指すはミッドガル。魔晄に彩られた虚栄の都市。