第２話【賢者と聖女と商売人と】
ある晴れた日の朝、私はコロナと共にペット牧場でモンスターのヒナ達の世話をしていた。そこへ、バドが慌ただしく駆け込んできた。
「師匠ーっ！聞いて下さい聞いて下さい聞いて下さい聞いて下さいー！」
その声に驚いたヒナ達は小屋の隅へと逃げてしまった。私は傍らに置いていたアルテナ合金製のハープを取り、おもむろに弦をかき鳴らした。このアルテナハープには闇の精霊シェイドの力が宿してある。
「ダークスフィア。」
黒い霧状の球体が現れ、騒ぎ立てるバドを吸い込む。
「わはーっ！師匠！タイムタイム！ホ、ホーリースラッシュ！」
バドはダークスフィアの魔法に吸い込まれそうになりながら、光の精霊ウィル・オ・ウィスプ属性の魔法を放った。闇と光の相殺効果でどちらの魔法も消え失せた。
「とっさにうまい魔法使ったじゃない。バドにしては上出来ね。」
コロナが冷やかしのように拍手する。
「し、師匠〜っ、脅かしっこなしだよ〜。」
「ペット牧場では静かにしろと言ってるだろう。ヒナ達が怯える。」
「あ、そうだったっけ。ついうっかり。いやそんなことより聞いて下さい。賢人の情報を仕入れたんですよっ。」
バドは目を輝かせながら興奮気味にまくし立てた。
バドもコロナも魔法使いの卵である。特にバドは将来大魔法使いになることを志していて、その夢の成就のために賢人達からアドバイスをもらいたいのだ。
このファ・ディール世界には６人の賢人がいる。以前の彼らは七賢人と呼ばれ、その名の通り７人いたのだが、そのうちの１人はすでにこの世になかった。
現在も存在している賢人は、大地の顔ガイア、風の王セルヴァ、海渡るトート、詩人ポキール、獣王ロシオッティ、奈落の主オールボン、である。
このうち、ガイア、ロシオッティ、ポキール、トートにはすでに会っていた。
「賢人というと、今度は誰だ？」
「セルヴァです！風の王セルヴァ！これは郵便ペリカンから聞いた話なんだけど、ガトに現れるらしいんだ！行きましょう、師匠！」
「まだヒナ達の世話が終わっていない。もうしばらく待て。」
「そんなのコロナにまかせとけばいいって！早く早く！」
「ちょっとバド！あたしはあんたの召使いじゃないのよ！」
コロナが愛用のほうきでバドの後頭部を小突いた。
「イテっ。わ、分かったよ。今度料理当番代わってやるからっ。」
私は仕方なしにヒナ達の世話を中断し、バドと共に断崖の町ガトへ向かうことにした。
が、家を出ようとした時、客が現れた。
「おこんにちは〜、だにゃ。あなたの心の道具箱、スマイリーニキータのお出ましにゃ。」
ウサギ猫の行商人ニキータだった。彼の商いにかけるがめつさは、ファ・ディール中に知れ渡っている。
「リーディス、儲け話があるんだにゃ。ちょっとおいらに付き合うにゃ。」
「ダメダメ！師匠とオレはこれからガトに行くんだ！あんたに付き合ってるヒマなんかないよ！」
バドが私とニキータの間に割って入った。
「ガト？それは好都合にゃ。オイラの目的地もガトにゃ。一緒に行くにゃ。」
こうして同行者が一名追加された。
ガトへ向かう道すがら、私はニキータにガトへ行く目的を尋ねた。ガトは寺院の立ち並ぶ町で、商いとは無縁のように思う。
「癒しの寺院へ訪問販売、なんてみみちっいことを考えてるワケないにゃ。寺院に用はないにゃ。用があるのは滝にゃ。」
「滝？岩山だらけのガトに滝なんてあったっけ？」
バドが言うと、ニキータはチッチッチッと人差し指を横に振った。
「素人はこれだから困るにゃ。修験道の洞窟を抜けた奥深くに滝があるんにゃ。観光名所にもなりそうな立派な滝にゃ。けど、そこに辿り着くにはモンスターがうようよいる洞窟を通らなければならないにゃ。」
なるほど。それで私を用心棒として誘いに来たという訳か。
「リーディスほど腕の立つ用心棒はめったにいないにゃ。お人好しだから用心棒代をよこせとも言わないし、いいことづくめにゃ。」
「師匠、あんなこと言ってますよ。」
バドが渋い顔でニキータを見ているが、私は別に気にしない。金が欲しくて人に手を貸しているのではないのは本当だし、それをお人好しというのなら当たっていると言えなくもない。
「で、その滝になんの用があるんだよ？」
バドが話の先を促した。
「草ムシを獲りに行くにゃ。」
「なんだ、ただのムシ獲りか。」
「草ムシはただのムシじゃないにゃ。珍重な虫にゃ。生息地が限られててなかなか獲れないにゃ。でも需要は高いんにゃ。草ムシまんじゅう、草ムシだんご、草ムシせんべい、いろいろ使えるにゃ。まとめて獲れたら大儲けにゃ。」
ニキータは今からすでにほくほく顔だった。
やがてガトに着いたが、町に入るなりまたも知り合いと出くわした。
「リーディス！ガトに来てたのね。あなたがいてくれたなんて幸運だわ。」
それは獣人のダナエだった。ダナエはガトで最も古く権威ある癒しの寺院の僧兵だ。
久しぶり、と挨拶を交わそうとしたが、ダナエの様子がおかしい。ひどく青ざめた顔色をしている。
「何かあったのか？」
「ええ。大変なの。マチルダが‥‥」
「ダナエ！マチルダは見つかったか！？」
反対方向から走って来たのはエスカデだった。エスカデはダナエの幼なじみで、彼の家は代々癒しの寺院を守る騎士の家柄だ。
「マチルダがどうかしたのか？」
「お前か、リーディス。丁度いい、俺達に手を貸せ。マチルダがさらわれた。」
「さらわれた？誰に？」
「アーウィンの手の者だ。」
当然と言わんばかりのエスカデの口振りだった。
ダナエ、エスカデ、マチルダ、そしてアーウィンは幼なじみである。共に子供時代を過ごした４人。しかし、成長した今の彼らを取り巻く状況はかなり複雑だった。その中心となるのがマチルダとアーウィンだ。
マチルダは癒しの寺院の次期司祭で、一方のアーウィンは悪魔の血を引く子供。正反対の立場に生まれた２人だが、惹かれあう心にそんなものは無意味だった。
そして１０年前のある日、まだ幼い２人は駆け落ち同然にガトを飛び出した。
しかし、この逃避行はすぐに結末を迎える。マチルダ１人だけがウルカン鉱山で発見された。アーウィンは見つからなかった。彼はマチルダからあるものを奪い去り、姿を消した。それは司祭となるべき者のみが持つ力、精霊力。
精霊力を奪われたマチルダは、その日を境に急速に歳を取り始めた。
密かにマチルダに思いを寄せていたエスカデはアーウィンを激しく憎み、ダナエは死に近付きつつあるマチルダをなんとか救おうとしている。だが当のマチルダはアーウィンを憎むこともなく、また死を避けようともせず、ただ静かに自分の寿命が尽きていくまま時を過ごしていた。
「ホントに複雑な関係だよな。四角関係のもつれってヤツかな。」
「それはちょっと間違いにゃ。ダナエがアーウィンかエスカデに恋心を抱いてない限り四角関係は成立しないにゃ。」
「それもそっか。」
私が知っている限りの経緯を、バドとニキータに話し終えたところで返って来た感想がこれだった。彼らにかかるとなんとも俗っぽい話題になる。
ダナエとエスカデに会ったあと、私は彼らの頼みを引き受け、マチルダを探してガトを歩き回っていた。バドとニキータは興味半分でそれに付き合っているのだ。
「もうとっくに町の外に逃げちゃったんじゃないの？」
「ダナエの話だと犯人は魔物にゃ。ガトは聖域だから魔物は力を抑制されて自由に動けないにゃ。きっとどこかに潜んで逃げ出す機会をうかがってるにゃ。」
「へー。あんたってがめついだけが取り柄の商人かと思ってたら、意外と頭いいんだ。」
「見くびってもらっちゃ困るにゃ。商売は頭が勝負にゃ。」
「ほー。で、俺達は次にどこを探したらいいんだ？」
「人気のないところを探すにゃ。例えば修験道の洞窟にゃ。あそこは隠れる場所がいっぱいにゃ。ついでに滝に寄って草ムシゲットにゃ。」
「なんだよ、結局それか。」
バドは呆れ顔だが、ニキータの言うことにも一理ある。私達は町はずれの修験道の洞窟へと向かった。
修験道の洞窟は入り組んだ自然の迷路だった。おまけにニキータが言っていたとおりモンスターもうようよいる。
バドは魔法を試す機会と勇んでモンスターの群れに飛び込み、ニキータは肉体労働は趣味じゃないにゃ、と戦闘には不参加を決め込んだ。もっとも襲いかかって来るモンスターがいれば、彼の得意技の体術で投げ飛ばしたり蹴り倒したりしているが。
私も当然、戦闘には参加した。ニキータに用心棒として雇われたからには――実際には賃金をもらっている訳ではないのだが――やるべきことはやる。今日の得物はスウィフト隕石製の片手剣だ。
自分を中心とした中範囲にダメージを及ぼす片手剣技ヴォルテクスでまとわりつくモンスター達をなぎ払い、１体１体をスマッシュブレードで仕留めていく。
「師匠、今日も剣技が冴えてますね！」
ドリアード属性の魔法エメラルドストームを放ちながら、バドは親指を立てて見せた。その言葉に応える代わりに、私はバドの背後から襲いかかろうとしているモンスターをエリアルブレードで仕留めた。
「お世辞はいいからまずは自分の身をちゃんと守れ。」
「はーい。」
バドは素直に返事すると、戦闘に集中した。
「いつもながら見事な手並みにゃ。それにしてもリーディスは会うたびに違う種類の武器を持ってるにゃ。一体いくつの武器を扱えるにゃ。」
「師匠はすごいんだぜ。短剣からバトルハンマーまで使いこなしちゃうんだからねっ。」
バドが自分のことのように自慢する。確かにどんな武器も扱えるし、どれも得意武器と言えた。
「なるほどにゃ。器用貧乏にならないよう気を付けるにゃ。」
ニキータは一言言わずにはいられない性格のようである。
モンスターを蹴散らしながら進んでいた私達は、たくさんのタルが並んだ洞窟へと入り込んだ。
「なんだ、このタル？なんか酒くさいな。」
バドは鼻をひくつかせた。
「見たことある洞窟にゃ。オイラ、前にここに来たことがあるようなないような‥‥でも思い出せないにゃ。」
ニキータは首をひねりながら洞窟内部を見回している。
「お姉さま！」
聞いたことのある声が洞窟の中に響いた。私のことをそう呼ぶ人物は１人しかいない。
「真珠姫？」
ふわふわとしたワンピース姿の真珠姫が、洞窟の奥から走って来た。
「ここでお姉さまに会えるなんて思ってもみなかった。私、とってもうれしい。」
真珠姫は警戒心のまったくない笑顔で私を見つめた。
「真珠姫、一体なぜこんなところに‥‥いるのか大体想像はつく。」
「そうなの。また瑠璃君とはぐれちゃって‥‥」
「また迷子になっていたんだな。」
「あ、もしかしてこの人が、師匠がよく珠魅の剣士に探すのを手伝わされている迷子の人ですか？」
「初めまして。私、真珠といいます。よろしくね。」
真珠姫は初対面のバドに挨拶をした。バドも反射的に自己紹介をして返す。
「話には聞いてたけど、ホントにすっごい方向音痴だね〜。どうやったらこんなところまで迷い込めるのか不思議だよ。それに、途中にはいっぱいモンスターもいたはずだろ？」
「ええと‥‥私もどうやってここまで来たのかよく分からないの。気付いたらこのタルでいっぱいの洞窟にいて‥‥。あ、いけない。私、修道女さんから帰り道を教わっていたところだったんだわ。」
真珠姫が洞窟の奥を振り返ると、ちょうど１人の修道女がやって来るところだった。
「話の途中で駆け出して行かれたのでビックリしました。どうやらお友達を見つけられたようですね。」
私は修道女から真珠姫の身柄を託された。
「よかったですわ。この方を町まで送って差し上げたかったのですが、ここを留守にする訳にはいかなくて。」
「そもそも、ここって一体なんなの？」
バドが訊いた。
「ここは癒しの寺院が管理する醸造所です。シュタインベルガーという酒を作っているんですよ。」
「ああ〜知ってる知ってる。有名なお酒だよね。幻の名酒とかってさ。」
お子さまのくせになぜそんな知識があるんだ、という意味の視線を送ると、バドはぶんぶんと首を振った。
「死んだ親父が一度飲んでみたいってよく言ってたんですよ。特にピュアゴールド・シュタインベルガーってのが最高級品質で、『奇跡の滴』って呼ばれるくらい価値が高いんだって。だよね？」
「ええ、特に上質のシュタインベルガーはそう呼ばれています。わずかな量しか作れない稀少な酒でして、主に寺院での式典用として使われるものなんです。しかし今年は、その式典用にさえ量が足りるかどうか‥‥」
修道女はそう言ってため息をついた。
「どうしたっての？今年のは質が悪いワケ？」
「いいえ。例年以上の品質のものが作れたんですが、そのほとんどを悪魔に飲み干されてしまったんです。」
「あ、悪魔、ですか？」
真珠姫が口を手で覆いながら怖々訊いた。
「ええ、あれは間違いなく悪魔です。ウサギ耳をした猫の悪魔です！」
「‥‥‥‥」
私とバドは顔を見合わせた。真珠姫だけがキョトンとしている。
「どうにも思い出せないにゃ。確かにここには一度来たことがあるんにゃ。その時ものすご〜くいい気分になったような気がするにゃ。」
沈黙したその場に、洞窟内をブラついていたニキータが戻って来た。
「あああ〜〜っ！ウサギ耳の悪魔！」
ニキータを見るなり修道女はカナキリ声を上げた。
「またやって来たのですか！ということは、あなた方も仲間だったのですね！これ以上、一滴たりともシュタインベルガーは渡せません！」
「し、失礼しました〜！師匠、早くズラかり‥‥いや、行きましょう！」
バドの意見に同感だ。修道女が僧兵を呼ぶ前に、私達はひとかたまりとなって洞窟から逃げ出した。
「やれやれ〜。なんで俺達が悪人みたいに逃げなきゃならないんだよ。あんたのせいだぞ。」
醸造所から離れて一安心したところで、バドはニキータを睨み付けた。
修道女の証言どおり、ピュアゴールド・シュタインベルガーを飲み干した犯人はニキータだった。
以前、ニキータが１人で草ムシを獲りに行った時、今回のように醸造所に迷い込み、たまたま目についた酒ダルの酒を飲んでみたところ、入っていたのがピュアゴールド・シュタインベルガーだったらしい。
「のどが渇いてたからちょっと味見のつもりで飲んでみたにゃ。そしたらうまかったにゃ。飲み始めたら止まらなくなったにゃ。あのうまさは悪魔の酒にゃ。」
「向こうはあんたを悪魔だって言ってたよ。」
バドは鋭く切り返した。
急に走り出した私達に、なんとか遅れずについてきた真珠姫は息を切らしていた。
「大丈夫か、真珠姫？」
「え、ええ、大丈夫です、お姉さま。でもお姉さまのお友達っておもしろい人ばかりなのね。」
「師匠、もうちょっと友達選んだ方がいいですよ。」
「どういう意味にゃ。」
「もう済んだことはいい。それより一旦町に戻ろう。真珠姫を安全な場所に連れて行かないと。真珠姫、すまないが町の宿屋でしばらく待っていてくれ。瑠璃を探して会わせてやりたいが、マチルダを見つけるまでは私もガトから離れられないんだ。」
「マチルダさん？」
私の指示に素直に従う気でいた真珠姫だったが、マチルダの話を聞くと考えが変わったようだ。
「お姉さま、私もマチルダさんを探すのをお手伝いします。いつもいつもお姉さまには助けてもらってばかりだもの。たまには私もお姉さまのお役に立ちたいの。」
私は迷った。真珠姫を同行させてもしケガでもさせようものなら、それを知ってキレまくった瑠璃に我が家を破壊されかねない。しかし、マチルダ捜索が一刻を荒そう今、町に戻る時間が惜しいのも確かだ。
結局、私は真珠姫を一緒に連れていくことにした。モンスターとの戦闘ではまるで戦力にならない真珠姫を守るのは当然私の役目だ。だが、バドとニキータがザコを片付けてくれるので、それほど大変な仕事ではなかった。