頭の中が真っ白になった。足の力が抜けて、ともすればその場に座り込んでしまいそうになる。
「お母さん‥‥」
エルオーネが俺の腕にしがみついた。無意識なのか、腕をつかむ指には痛いほどの力がこもっていた。
そのエルオーネの肩を、リノアがそっと抱いた。
「レインママさん！？レインママさんが魔女なの〜！？」
「ウソだろ！？」
「じょ、冗談キツイよ〜！」
「まさか、そんなことって‥‥」
その場の誰もが動揺していた。
「ラグナ君‥‥」
「‥‥‥‥」
キロスとウォードも言葉が見つからず、ただ親父を見つめた。
親父は２人の視線を受け止めたあと、俺とエルオーネのところへやって来た。
「気をしっかり持てって言っただろ？」
俺達の頭をいつもの手つきでくしゃくしゃとなでる。
それから母に向き直った親父は、片手を上げて軽く振った。
「ようっ、レイン。無事で良かった。会いたかっ‥‥」
「お前に用はない。」
母は問答無用に魔法を放った。
「ウォール！」
「シェル！」
ほぼ同時にセルフィとアーヴァインの２人が前に飛び出し、防御魔法を唱えた。とっさの２人の魔法が親父の身を守った。
「‥‥っひゃ〜。久しぶりで会ったってのにアイラブユーも言わせてくれないとは、うちの奥さんずいぶんキツくなったなあ。」
危うく吹き飛ばされそうになるのを免れた親父は、尻もちをついた格好でポリポリと頭をかいた。
「こんな時まで何ふざけたことを言ってるんだ！今の母さんは‥‥魔女なんだぞ！」
「ああ、そうだ。そして俺の愛する妻でお前達の大事な母親だ。それはな〜んも変わらない。レインはレインだ。」
床に座り込んだまま、俺を見上げてニッと笑う。
俺の隣でリノアが頷いた。
「スコール、私に言ってくれたよね。魔女でもリノアはリノアだって。あの時の言葉、本当に嬉しかった。だから‥‥今、目の前にいるのは、間違いなくスコール達のお母さんなんだわ。」
リノアは励ますように微笑んだ。
「お前がもう１人の魔女だな。」
母はリノアに目を向けた。
「来るがいい。魔女は一つに。お前の力は私がもらう。」
リノアに向かって手を差し伸べる。
それが狙いか。魔女の力を一つに束ねること。アルティミシアの狙いはそれだったのか。
「私の魔女としての力‥‥捨てられるものなら捨てたいと、何度願ったか知れない。だけど、今のあなたには渡せない。」
リノアは頑なに首を振った。
「拒むか。いいだろう。お前は死ね。」
母は再び魔法を放った。前より威力を増した攻撃だったが、セルフィとアーヴァイン、それにリノアも加わって三人がかりでそれを防いだ。
「ど、どうするの〜？今のレインママさん、アルティミシアに完全に支配されちゃってる〜。ママさんと戦うの？」
セルフィは母の動向に注意を払いながら、いつでも防御魔法を唱えられる態勢を崩さず言った。
「でも他に道はないわ。アルティミシアに支配されてしまったら、もう何を言ってもムダだもの。ママ先生の時もそうだった。戦ってギリギリまで弱らせて、魔女の力を手放させる以外にない。」
キスティスは決断を促すように俺に目を向けた。
「スコール、どうするよ？俺達だってお前のおふくろさんと戦いたくはねえ。お前にだって戦わせたくねえよ。母親と戦うことがどんなに辛いことか、身に染みて分かってるからな。」
ゼルはガルバディアガーデンで魔女イデアと戦った時のことを思い出したのか、辛そうに目を伏せた。
俺は答えを探すように親父を見た。それからエルオーネに目を向け、次いでリノアを見た。最後に母を見つめた。
母は笑っていた。目で見てとれるほどの強い魔力のオーラを身にまとい、これから俺達を葬り去ることを楽しんでいるような微笑み。
‥‥だが、そのすぐ裏側にはいつもの心安らぐ笑顔が眠っているはずだ。母は、母なんだ。
心は決まった。
「――戦わない。俺には出来ない。」
手に握っていたガンブレードを床に落とした。みんなの視線が自然と落ちたそれに注がれる。
「なんの解決にもならないのは分かってる。ただ逃げてるだけなのかもしれない。でも俺は、戦わない。俺はＳｅｅＤじゃないから。そんなに強い人間じゃないから‥‥俺に出来るのは、信じることだけだ。」
自分の両親を。思いの絆を。魔女の支配に打ち勝つ力を。
そんな俺の背中を、アーヴァインが力強く叩いた。
「十分強いよ、スコールはさ〜。戦うことより戦わないことの方が勇気がいる時もある。敢えてそれを貫こうとするスコールは、ＳｅｅＤよりもずっと強いよ。」
アーヴァインは敬意を表するように、帽子のつばを軽く下げた。
アーヴァインのその行為に呼応してゼル、キスティス、セルフィも臨戦態勢の構えを解いていった。
「母親の手にかかって死ぬことを選ぶか。物分かりのいい我が子だな。」
それでも母は容赦なく攻撃魔法を仕掛けてくる。隙を付かれそうになるが、リノアが寸でのところでそれを防いだ。
「私は戦わない。でも、スコール達を傷付けさせもしない！」
リノアはその体全身で俺達を守ろうとするかのように、両手を広げて決然と言い放った。
母はさも愉快そうな笑みを浮かべた。この状況を楽しんでいるのは明らかだった。
母が再度魔法を放とうとしたその時、
「いい加減にしろーっ！レイン！」
突然、親父の怒鳴り声が響いた。
「ったくとんでもねえ女だな！自分の子供に向かって攻撃するなんてどういう神経してんだ！更年期障害のストレスかっ！？」
「お、お父さん！？」
エルオーネは目を丸くしたが、それはその場にいる全員が同様だった。魔法を撃つ構えだった母も、一時的にその動きを止めた。
「魔女の力を継承した途端、我を忘れて他の魔女からいいように操られるなんて情けなさすぎるぞ！それでも俺の女房か！？エルとスコールの母親か！？なんとか言ってみろ、このバカ女！」
「それならば、私はこれから未亡人となろう。」
母が放った魔法を、三度リノアが受け止めた。
親父は魔法の余波に怯むことなくさらに前へ進み出た。
「おう！上等だ！お前なんかこっちから離婚だ、離婚！お前みたいなバカ女にこれ以上付き合ってられっかってーの！大体亭主が留守の間、家を守るのは女房の役目だろーが！それをあっさりガルバディアの奴らにさらわれるは、挙げ句の果てに俺達の敵にまわって殺そうとするなんてとんっでもねえぞ！お前なんか妻も母親も失格だ！バッカ野郎！」
「言いたいことはそれだけか。」
「これくらいで終わるかっ、アホ！そんなことじゃレインズガーデンの評判も地に落ちるぞ。作ってるお前がこんな調子じゃ、咲く花だってロクでもないに決まってる。道ばたに咲いてる花の方がよっぽどキレイってもんだぜっ。咲く花には作り手の心がそのまま反映されるってのは、お前が言ってたことだよな。どんな花が咲くのやら、想像するだけで身の毛がよだつぜ！それに前々から言おうと思ってたんだけどな、お前の料理はまずい！スパイスの効かせすぎだっての！ついでにこの際はっきり言わせてもらうが、俺はハーブティーが苦手なんだーっ！」
親父が母のレインズガーデンをけなしたことなど、これまでただの一度もなかった。ましてやお前呼ばわりしたことも、料理にケチをつけたことだってない。一体どういう意図でこんなことを言い出すのか、見当もつかなかった。
「やれやれ、俺がファーストレディ抜きで大統領の大任をこなしてるってのに、当の奥様は魔女になって好き放題やってるんだからな〜。まったくとんでもない話だな。長年連れ添って来た女房が、こーんな情けない根性ナシのバカ女だとは夢にも思わなかったぜ。俺もトコトン見る目がなかったよな。こんな古女房とはとっととオサラバして、エスタ美人のお相手を見つけるとすっか。大統領様はモテモテなんだぜ〜。お前も新しい魔女の騎士でも見つけりゃいいさ。ま、もうすぐ４０に手の届くオバハンを相手にしてくれる奴がいるとはとても思えないけどなっ。あっはっはっはっ！！」
親父はそっくり返らんばかりに高笑いした。周りの俺達といえば、ただただ呆気にとられてそれを見ているしかなかった。
しかし不思議なことに、親父が好き放題しゃべっている間、母は口を挟むことはおろか攻撃すらしてこなかった。太陽のプロミネンスのようにまとわりついていた魔力のオーラも、いつの間にか影をひそめていた。
母は一歩足を踏み出した。そのままゆっくりと俺達の方へ歩いて来る。
リノアは警戒するように身構えたが、親父はそれを制して自らも母に近付いて行った。
２人は真正面から向かい合う形で立った。まるでこれから、一対一の決闘を行うような張りつめた空気が漂う。
「どうした、魔女さん。文句があるならなんとか言ってみろ。それとも問答無用で魔法をブチかますか？」
親父は挑発するように意地の悪い笑みを浮かべて言った。
――バッチーン！！
次の瞬間、ものすごい音がして親父が吹っ飛んだ。
「ママさんの魔法〜！？」
「いいえ、違うわ！平手よ！」
「ビンタかよっ！？」
「レインママさんがラグナパパさんを張り飛ばした〜！？」
そのとおりだった。母は右手を大きく振りかぶり、そのまま力任せに平手打ちを食らわせたのだ。
「誰が‥‥」
母はワナワナと体を震わせていた。
俺達が固唾を呑んで見守る中、母は無様に倒れた親父の傍らに膝をつくと、その襟首をつかんで締め上げた。
「誰がオバハンよ！古女房で悪かったわね！そっちだって４０過ぎたオジンじゃないの！自分のこと棚にあげてよく言うわ！大統領大統領って何様のつもり！？自分の生まれ故郷でもない国の大統領を一体何年やってるのよ！？妻子を置き去りにして自分はエスタに行ったきり、年に数週間帰って来るだけ！それを１７年間も！今まで愛想尽かされなかったことに感謝するのね！」
母は怒鳴り散らしながら、親父をガクガクと揺さぶった。
「私の料理がまずいなんてよくも言ったわね！？ウィンヒルじゃ料理の腕で私の右に出る者はいないってみんなから言われてるのよ！私の煎れたハーブティーは絶品だって評判なんだから！エスタ料理になれすぎて味覚がどうかしてるんじゃないの！？それに、私のレインズガーデンの花は――！」
「世界一だあーっ！！」
親父は両手を広げるや、思い切り母を抱きしめた。
「世界一だ世界一だ世界一だ！レインの花は最高だーっ！俺の奥さんは世界一の最っ高の女だーっ！」
「母さん！」
「お母さん！」
俺とエルオーネは親父達の元へ駆け寄った。
「あれ？スコール‥‥エルオーネ‥‥」
母は急に我に返ったように、呆然とした表情で俺達を見上げた。そして、今にも泣き出しそうな顔で自分を抱きしめている親父に目を移した。
「ラグナ‥‥」
「レインーっ！」
親父は母をさらに強く抱きしめた。
事の成り行きを見守っていたキロス達も、一斉に親父達を取り囲むようにして集まった。
「レインママさん！？元のレインママさんなんだよね〜っ！？」
「すごいわ！アルティミシアの支配から逃れられたなんて！」
「よかった〜。レインママさんと戦うことになったらどうしようかと思ったよ〜。」
「でもマジに、一時はどうなることかと思ったぜ‥‥」
ゼル達は急に力が抜けたように、次々とその場に座り込んだ。
「ラグナ君、つくづく君って男は‥‥」
座り込んだまま母を抱きしめて離さない親父の肩を、キロスは軽く叩いて苦笑した。
「‥‥」
ウォードが小さくジェスチャーした。ラグナは大した男だ、とウォードは言っていた。
「ごめんなさいね、ラグナ‥‥」
母は自分でひっぱたいた親父の頬をそっとなでた。
「俺の方こそゴメンな。ひどいこと言って。」
「妻も母親も失格っていうのは本当ね。もう少しであなた達を傷付けるところだった。」
「いーや！レインは世界一だ！世界一の妻で母親だ！愛してるぞ、レイ――ンっ！？」
親父は突然、左足を抱え込むようにしてのたうち回った。
「ラグナ！？もしかして足つったの！？」
「あ、あははは、どうもそうらし‥‥イテテテテっ！」
緊張すると足をつるのは親父のクセだ。やっぱり今も緊張していたらしい。
いつもなら呆れられる親父のやっかいなクセだが、今はこの場にいる全員から安堵の笑みを引き出していた。
足の痙攣がなんとかおさまった親父は、母に支えられるようにして立ち上がった。
「あ〜びっくりした。久しぶりに足つっちまったよ。」
「驚いたのはこっちだ。いきなり母さんの悪口をまくし立てるから、頭がヘンになったのかと思った。」
「だってお前言っただろ。レインとは戦わないってさ。あの言葉にはさっすがは我が息子！って感動したぞ〜。だから、この先は俺が戦うって決心したんだ。ただし、口ゲンカだけどな。夫婦ゲンカは魔女も食わない、なんてなっ。わははっ。」
「ラグナったらもう。」
母は親父の腕を軽く叩き、２人して笑い合った。
そんな２人の姿を、俺の隣でリノアは眩しそうな目で見つめていた。
「スコールのお父さんってやっぱりすごい人だね。お母さんも自力で未来の魔女の呪縛を打ち破るなんて本当にすごいな‥‥」
「そう‥‥か？」
まあ確かにすごいことはすごいと思うし、リノアが感心する気持ちも分かるが、なんというか我が両親ながらつくづく無茶苦茶だ。
俺とエルオーネの前にやって来た母は、俺達を２人一緒に抱きしめた。
「ごめんね、エルオーネ。心配かけたね。」
「ううん。お母さんが無事だったならもういい。でも本当によかった。」
「ごめんね、スコール。ケガしなかった？」
「大丈夫。母さんこそ体はなんともないのか？」
「ええ、全然平気よ。すこぶる元気元気！」
母は俺達を存分に抱きしめてから離すと、今度はキロス達に向き直った。
「キロス、ウォード、久しぶり。２人とも来てくれたのね。」
「当然だよ。レウァール家の一大事だったのだからね。」
「‥‥」
「ありがとう、キロス、ウォード。それにセルフィ、キスティス、アーヴァイン。あなた達まで来てくれたなんて。」
「レインママさんにはウィンヒルでいっぱいお世話になっちゃったんだもん。当たり前だよ〜。」
「レインママさんが無事でよかった。ホッとしました。」
「おかえり〜、レインママさん！」
「えっと、どうも初めまして。俺、ゼルっていいます。その、なんつーか、レインママさんが無事で何よりっす！」
「初めまして、ゼル。みんなありがとう。こんなにいいお友達に恵まれて、スコールもエルオーネも幸せね。」
母は嬉しそうな笑顔で自分の周りに集まった人々を見回した。その姿はいつもの母だった。
「――あれ？」
安心したのも束の間、急に母は足の力が抜けたようにその場に膝をついた。
「母さん！？」
「どうしたの！？」
俺とエルオーネで母の体を支えた。
「ヘンね‥‥なんだか力が抜けていきそう‥‥」
「や、やややややっぱりどっかケガしてたのか〜！？」
母の様子が急変したことに、親父は慌てふためいた。
「違う‥‥これは私のものじゃない。何か別の‥‥大きな力が私の中から出ようとしてる‥‥？」
「下がって、みんな。」
リノアは静かな声で言った。
「レインさんから離れて。」
「リノア？どういうことだ？」
「私の考えが正しいなら、今おそらくレインさんの中から魔女の力が解放されようとしているの。魔女の力の継承よ。」
事情がよく飲み込めない俺達は、不安を残しながら母から離れた。その母の傍らにリノアはひざまづいた。
「楽にして、レインさん。すぐに終わります。」
「あなたは‥‥？」
「私はリノア。‥‥魔女リノア。あなたの力、私が引き受けます。」
揺らめく炎のような紅い光が母の体からあふれ出た。そしてその光は、川の流れが海に注ぎ込むようにリノアの中に吸い込まれていった。
母から魔女の力を受け取ったリノアは、途端に全速力で走ったかのような激しい呼吸を繰り返した。
「大丈夫か、リノア！？」
「平気‥‥すぐにおさまると思うから。」
何度か深呼吸を繰り返し、ようやくリノアは落ち着いた。母の方も何事もなかったように、すでに元の状態に戻っていた。
俺はリノアの腕を取って、彼女が立ち上がるのに手を貸した。
「今のが魔女の力の継承なら、母さんは魔女じゃなくなったってことなのか？」
「ええ。もうスコールのお母さんは魔女じゃない。」
「でも、どういうことだ？魔女の力は任意に手放すことが出来るものじゃないんだろう？なぜ母さんから魔女の力は失われたんだ？」
「それは私にもよく分からないけれど‥‥多分、レインさんが魔女の力を継承して、わずかな時間しか経っていなかったせいじゃないかな。まだ魔女の力が完全には自分のものになっていなかったのね。そこへアルティミシアによる心身の支配と、さらにそれを打ち破ったことで力が不安定になって、突発的に魔女の力の継承が起きたんじゃないかと思う。」
リノアは母に向き直った。
「もうあなたは魔女じゃありません。未来の魔女に操られる心配もない。だから、安心して下さい。」
「リノア‥‥なんて言ったらいいのか分からないけれど‥‥やっぱり、ありがとう。」
母はリノアの手を取り、両手で包み込むように握った。
「でも不思議‥‥あなたを見ていると、古い友達に再会したようなとても懐かしい気分になるの。ねえリノア、前にどこかで会ったことあるかなあ？」
母の言葉にリノアは少し驚いたようだったが、それはすぐに喜びの笑顔に変わった。
リノアは母の手に自分の手を重ねた。
「全部終わったら、そのことについてゆっくりとお話したいです。」
そして俺の方を振り向いた彼女の表情は、この上なく嬉しそうだった。