ＦＩＮＡＬ ＦＡＮＴＡＳＹ VII 〜the another story〜
プロローグ
母から最後にその言葉を聞いたのは、別れの間際だった。別れ。死という名の別れ。
「エアリス‥‥約束の地を見つけなさい。本当の意味での、あなただけの約束の地をね‥‥」
そう言って、母は目を閉じた。その目はもう開かれることはないのだと悟った時も、エアリスは泣かなかった。
「亡くなったよ‥‥」
泣いたのは、傍らにいて一緒に母の死を看取った女性の方だった。駅のホームで力尽き、倒れた母に手を貸してくれた見ず知らずの女性。後に彼女は、エアリスの母代わりを務めてくれることになる。
「可哀想に、こんなに小さいのに、お母さんがいなくなってしまったんだね‥‥」
女性はぎゅっとエアリスを抱きしめた。彼女の匂いは母と同じように、安らぎを与えてくれるものだった。
「お母さんは‥‥」
「え？」
「お母さんは死んだんじゃないよ。星に還っただけ。だから、さみしくなんかないよ。」
女性は抱擁をやめ、不思議そうな顔でエアリスを見た。
「約束の地‥‥そんなもの本当にあるの？お母さん‥‥」
エアリスは、今ではたった一つだけの母の形見となった透き通るように白い球を握りしめた。球は暖かかった。実際にはエアリスの体温で暖められているだけなのだろうが、その内から伝わってくる温もりを、エアリスは確かに感じていた。
それは母の温もり、星の温もり、彼女を取り巻くすべての生命の温もり。
――それから十数年後、星をめぐる物語は始まる。
１章・星の囁き
その日、八番街はいつもと何の変わりもなかった。忙しなく人が行き交い、誰もが誰もに無関心。ミッドガルの典型的な日常風景でしかなかった。
魔晄都市ミッドガル。世界の中心地。財力も権力も武力も、すべてこの空に浮かぶ人工都市に集まる。
ミッドガルを語る前に、まず忘れてはならない存在がある。巨大企業神羅カンパニー。単なる一企業にすぎなかった神羅カンパニーは、今や世界をその掌中に収めている。それはすべて、彼ら組織が数十年前に「魔晄」と呼ばれる新時代のエネルギー源を発見したことによる。
地中から得られるその未知のエネルギー源は、簡単に電気などの実用的エネルギーに変換することが出来た。その効用により科学技術は飛躍的な発展を遂げ、それと同時に、神羅を事実上の世界の覇者たらしめた。
その神羅が作り上げた街が、このミッドガルである。地上数十メートルに構築された人工都市。神羅の富と権力の象徴。
街は全部で八枚の巨大なプレートで構成され、それぞれ壱番街から八番街と呼び分けられている。その八番街の街角に、１人の花売りの女性が立っていた。
亜麻色の長い髪をポニーテールにまとめ、さらにその髪をくるくるとねじり巻にしたその女性は、行き交う人の波を見つめていた。
「お花、いりませんか？」
花売りの女性は、これと思った人物を見つけては、そう声をかけていた。
ミッドガルに住む人々は、心にゆとりを持ち合わせていない人が多い。そんな人達は、花を買うなどという行為をしないことを、彼女はよく分かっていた。
彼女が声をかけるのは、この小さな花に安らぎを感じ、優しさを思い出す、そんな人達ばかりだった。彼女は人を見る目があった。声をかけた人達はまず間違いなく、花を買ってくれた。
仕事帰りの中年男性に花を渡し、さよならと手を振ったその時だった。
すさまじい爆発音が響き渡った。同時に地震のような激しい振動が起こった。
花売りの女性は思わず街灯にしがみついた。空を見上げると、東の空が燃えるような赤い色に染まっていた。もくもくと上がる黒い煙も見える。
「あれは壱番街の方‥‥。何が起こったの？」
ふいにバチバチッという音がして、街灯の灯りが付いたり消えたり点滅を始めた。街灯だけではない。辺りの照明機器がすべて不具合になったように、火花を飛び散らせたり、点滅したりしている。
人々は突然の出来事に訳も分からず、ひたすらに逃げまどっている。振動でビルのガラスが割れ、かけらが雨のように降り注ぐ。運転中の車はショーウィンドーに突っ込み、衝突を免れた車も道の脇で横転した。その車から火の手が上がり、さらなる被害を生む。
こんな非常時には焦って行動しない方がいい。事態が収まるまでじっとしていよう。
花売りの女性は冷静さを保ったまま、街灯の影に身を潜め、騒ぎが静まるのを待った。
同じ頃、八番街のはずれにある壁の一部が爆破された。壊れた壁の中から数人の男女が出て来た。彼らは皆息づかいも荒く、高揚したように頬を赤くしていた。
「やったな。」
「やったっすよ。」
「やったわ！」
背のひょろ長い男と、背の低い小太りの男、それにショートカットの女性の３人が、パチンと互いの手を合わせた。
「浮かれるのはまだ早いぜ。これからが本当の勝負所だ！」
色黒のがっしりした体格の男が、彼らの気を引き締めるようにビシッと言い放った。その男の特徴は体つきの逞しさや肌の色だけではなかった。彼の右腕は銃で出来ていた。ギミックアームと呼ばれる取り外し可能な銃器機である。
「ランデブー地点は八番街ステーション、ミッドガル発最終列車！各自単独行動、列車に乗り込め！」
「了解！」
男の号令で、３人の男女はそれぞれの方角に走っていった。
「お前もだぞ。いいな。遅れるなよ！」
右腕が銃の男は、最後に残ったもう１人の青年――彼は異様に大きな長剣を背に背負っていた――に言い置くと、正面にある階段を駆け登っていった。
その場に１人残された長剣の青年は、ちょっと肩をすくめると、思うままの方角へと歩き出した。
爆発の騒ぎが収まるのを待って、花売りの女性は通りを歩き始めた。街は惨憺たる有様だった。死人が転がっていてもおかしくない。だが爆発元だったと思われる壱番街に比べれば、はるかにマシなのかもしれない。
「これじゃもう、お花を買ってくれる人いないよね。」
花売りの女性は家路につくために、くるりと方向転換した。
その時、路地から現れた１人の青年が目に入った。最初、その人物に注意を引かれたのは、彼の背負っているバカでかい長剣のせいだった。しかし、彼がこちらを向いた瞬間、花売りの女性は心臓をわし掴みにされたような感覚を覚えた。
彼だ、と思った。
青年がこちらへ向かって歩いてくる。金髪のツンツンと逆立ったような髪、少年のような無邪気さの残る端正な顔立ち。そして何より目を惹くのはその瞳である。
蒼の光を淡く帯びた瞳。常人にはないその不思議な輝き。
青年は花売りの女性の視線に気付き、近付いてきた。
「こんなところにボーッと立ってたら危ないぜ。早く逃げた方がいい。」
「ねえ、あなた‥‥」
「なんだ？」
「ううん。なんでもない。ねえ、何があったの？」
「‥‥さあな。それより、珍しいな。花なんて。」
「あ、これね。気に入ってくれた？１ギルなんだけど、どう？」
「花か‥‥見るのはずいぶん久しぶりな気がするよ。」
青年は花を買った。花売りの女性はうれしそうに花を手渡した。
再び歩き出した青年を、花売りの女性は呼び止めた。
「ねえ！私、エアリスって言うの！あなたの名前は？」
青年は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。無表情に見えたその顔に、小さな笑みが灯った。花売りの女性――エアリスは自分の鼓動が止まってしまうのではないかと思った。
「俺はクラウド。クラウド・ストライフ。じゃあなエアリス、早くうちに帰れよ。」
クラウドと名乗ったその青年は、八番街の街並みに消えていった。
「クラウド‥‥か。」
エアリスは１人つぶやき、苦笑した。
私ったらバカだな。どうして彼だなんて思ったんだろう。全然違うのに。そう、全然違うのに‥‥どうして？
エアリスは今はもう見えなくなったクラウドの姿を探すように、夕暮れの迫る街並みに目を彷徨わせた。
同時に胸の奥で、ざわざわと何かが波立つのを感じた。何かが起こり始めた――そんな漠然とした予感がしていた。
エアリスは翌日もまた、八番街へと出かけた。また彼に、クラウドに会えるのではないかと半ば期待して。しかし、当然というべきかクラウドは現れなかった。
花売りの仕事を早めに切り上たエアリスは、彼女の聖域ともいえる場所へと向かった。伍番街スラムの片隅にある古びた教会。それがエアリスの聖域だった。
スラム街。ミッドガルは空中に浮かぶ都市である。そしてその下の地上には、太陽の光を受けることもなく暮らす貧しい人々の街があった。各プレートを支える機械塔と呼ばれる支柱の周りがそのスラム街である。
伍番街プレートの下、この伍番街スラムがエアリスの住む街だった。
アッパータウンの人々はスラム街を犯罪の巣窟、薄汚れた裏町と呼び忌み嫌うが、エアリスはこの街が好きだった。雑多だが活力に溢れた街スラム。貧しい街だが、地に足を付けて生活することは、人が生きる上で大切なことではないかと思う。
地上にいるということは、すなわち常に星に触れているということ。星の恩恵を忘れずにいられるということなのだから。
エアリスは教会の中へと入った。
祭壇の手前は地面がむき出しになっている。そこに花が咲いていた。土地が枯れ、植物の育たなくなったミッドガルで花が咲ける、数少ない場所の一つだった。
「みんな元気？」
エアリスは屈み込み、友達に呼びかけるように草花達に挨拶した。
「昨日は来れなくてゴメンね。八番街にいたら大変な目にあっちゃったの。いきなり爆発音と振動がして、辺りはものすごい騒ぎになっちゃった。怪我はしなかったんだけど、ビックリしたな。」
昨日の爆発騒ぎが壱番魔晄炉爆破テロだったことを、エアリスは後のニュースで知った。それを実行したのはアバランチと名乗るテロ集団らしい。
魔晄炉とは、魔晄エネルギーを汲み上げるための神羅自慢の施設である。ミッドガルには壱番から八番までの街ごとに一つずつの魔晄炉があり、日夜休むことなく魔晄を汲み上げ、ミッドガルに豊富な電力を供給していた。ミッドガルシティが魔晄都市と呼ばれる所以である。
エアリスはアバランチがどんな集団なのか詳しくは知らなかったが、彼がバラまいたビラや張り紙は何度か目にしたことがあった。星の救世主――確か彼らは、自らをそう呼んでいた。
アバランチはテロ活動のターゲットを、神羅カンパニーに絞っていた。その理由は神羅が日々吸い上げ、彼らの富と権力の元としている魔晄エネルギーにあった。
アバランチに言わせると、魔晄エネルギーはこの星を流れる血でありこのまま吸い上げ続けていけば、いずれはゼロになり星は枯れ果ててしまう。それを阻止するために神羅と戦っている。これが彼らの言い分だった。
「星を守るための戦いか‥‥。聞こえはいいけど‥‥」
少しやり方が違うのではないか、とエアリスは思った。しかし、星のために何もしてやれない自分が、彼らのことをとやかく言う権利はないと言うことも分かっていた。
「あ、そうそう。ちょっといいこともあったんだ。すっごくかっこいい人がお花買ってくれたのっ。しっかり名前も聞いちゃった。クラウドっていう人でね、多分、ううん、絶対あの人ソルジャーだったな。あの魔晄の瞳、間違いない。だって彼と同じ瞳だったんだから‥‥」
でも、同じだったのは瞳だけじゃない。まるで違うのに、同じだった。初めて彼を見たときのあの不思議な感じ。
「私のカンではまた会えそうな気がするの。今日は会えなかったけど、きっと、近い内に必ず‥‥」
花の手入れをしようと立ち上がったその時、強い衝撃と激しい轟音が起こった。
八番街で感じたものとそっくりだった。ただし、その発信源は頭上からだった。
「今度は伍番街！？」
エアリスは不安げに教会の天井を見上げた。
と、そのときだった。天井を突き破って何かが落ちてきた。それは花畑の真ん中に落ちた。
伍番街プレートの瓦礫が降ってきたのかと思ったが、違った。驚いたことに、落下物は人だった。
「人！？‥‥が降ってきちゃった。キャッ！」
さらに続けて大きな長剣が落ちてきた。エアリスから３０cmと離れていない床に突き刺さった。
「ちょ、ちょっと冗談やめてよ〜。間一髪‥‥あれ、この人！」
エアリスは三度仰天した。落ちてきた人物は、八番街で出会ったクラウド・ストライフその人だった。
「なんでこの人、空から降ってくるの？一体どうなってるの？」
エアリスは八番街で遭遇した爆発騒ぎの時より慌てていた。
とりあえずクラウドの生死の確認をすることにした。近い内にまた会える、という彼女のカンは大当たりだったが、死んでいたのではどうしようもない。
だが彼は生きていた。かなりの高さから落ちてきたというのに、怪我らしい怪我もしていなかった。
「ね、だいじょぶ？しっかりして。」
目立った外傷はないが、頭などを強く打っている恐れもある。むやみに動かさない方がいい。
クラウドの手を取り、もう一度呼びかけた。
「クラウド、起きて！目を開けて！しっかりし‥‥」
エアリスは唐突に声を聞いた。耳で聞いた声ではない。それは心に直に伝わってくる声だった。
何これ？どこから聞こえるの？‥‥ううん。私に言ってるんじゃない。これはクラウドの心の中の声。クラウド、誰かと会話してる‥‥？
――大丈夫か？
「‥‥ああ。」
―― 聞こえてるか？
「聞こえてる。‥‥なあ、あんた誰だ？壱番魔晄炉でも俺に話しかけてきたろ？『目を覚ませ！』とかなんとか‥‥」
――あれは‥‥いや、分からないならそれでもいい。それより怪我、してないか？体は動かせるか？
「多分‥‥大丈夫だと思う。」
――あの時は、ヒザをすりむいただけですんだけどな‥‥
「あの時？あの時ってなんだ？」
――‥‥さあ、起きろ。目を覚ませ！
クラウドは目を開けた。
「あ、よかった〜。起きた。」
クラウドの視界に突然、女性の顔が飛び込んできた。たっぷり１０秒は２人の視線が合った。きれいな人だ、とクラウドはぼんやりと考えていた。
次の瞬間、クラウドはガバッとはね起きた。その途端、鈍い頭痛に見舞われた。
「ウッ！」
「ダメだよ。そんなに勢いよく起き上がったりしちゃ。軽い脳震盪、起こしてると思うよ。」
「‥‥脳震盪？俺は一体‥‥。なんだ、ここは？」
「ここは伍番街スラムの教会。あなた、あの天井を突き破って落ちてきたんだよ。」
クラウドは見上げた。天井に大きな穴が開いている。
「教会の屋根と私のお花畑がクッションになったんだね。運が良かったね。」
クラウドは自分が倒れている場所が、小さな花畑であることに気付いた。
「この花畑はあんたの？あれ？あんたは‥‥」
「ふふ。また、会えたね。」
クラウドは彼女が八番街で出会った女性であることを思い出した。
「私のこと、覚えてる？」
「ああ。花、売ってたな。」
「お花買ってくれたね。ありがとっ。」
エアリスは無邪気に笑った。
立ち上がったクラウドは、自分が落ちた花畑を振り返った。
「花畑、台無しにしちまったな。」
「だいじょぶ。花達はみんな強いし、それにここは特別な場所だから。それより、どうして上から落っこちてきたの？すごい爆発音がしたけど、そのせいで床が抜けちゃったの？」
「まあ、そんなところだ。」
「ふ〜ん。」
エアリスは後ろ手に手を組み、クラウドの顔をのぞき込んだ。何か裏があるようだと疑っているようだが、それ以上は追求してこなかった。
「私、花売りのエアリス・ゲインズブール。」
「前に会ったとき聞いたよ。俺はクラウドだ。」
「ストライフさんね。前に会ったとき聞いた。」
２人はくすくすと笑い合った。
「これ、あなたの剣だよね？ストライフさん。こんなでっかい剣持ち歩いたりして、あなた一体何してる人なの？」
エアリスは突き刺さった長剣を指さして訊いた。
「クラウド、でいいよ。仕事は‥‥なんでも屋だ。」
クラウドは長剣を引き抜き、いつものように背負った。
「なんでも屋？」
「なんでもやるのさ。」
「分かりやすい説明、いたみいります。」
２人はまた、お互いに顔を見合わせて笑った。
「ねえ、クラウド。あなた、さっき誰かと話してた？」
「さっき？話？なんのことだ？」
「‥‥あ、なんでもないの。ゴメンね、変なこと言って。ね、あなたマテリア、持ってるんだね。」
エアリスが言っているのは、クラウドの長剣にはめ込まれた、ガラス玉のような球体のことだった。
マテリアとは、それを武器や防具に取り付けているだけで、魔法という不思議な力が使えるようになる物体のことである。魔晄エネルギーと何らかの関係があるらしいのだが、詳しいことを知る者は一般にはあまりいなかった。
「マテリアなんて今時珍しくはないさ。」
「そうだね。私もマテリア、持ってるんだよ。でも何の役にも立たないの。」
「役に立たない？使い方を知らないだけじゃないのか？」
「違うよ〜。でもいいの。これを使う時が来ないなら、それが一番いいってお母さんも言ってたし。」
クラウドはますます訳が分からないといった顔をした。
教会の扉が開く音がして、クラウドとエアリスは振り返った。数人の男達が教会の中へ入ってきた。
先頭に立つ赤毛の男以外は、神羅軍の兵士の服装だった。赤毛男は何かの制服らしい黒いスーツを着ていたが、それを独特のセンスで着崩していた。
「よう、お姉ちゃん。今日こそは一緒に来てもらうぞ、と。」
「レノ‥‥」
エアリスは後ずさりした。
「‥‥ね、クラウド。ボディーガードも仕事の内に入る？」
「まあな。」
「じゃあ、私のボディーガードになってくれる？ここから連れ出して、家まで送って欲しいの。」
「引き受けてもいいが、安くはないぞ。」
「う〜ん、じゃあねえ、デート一回！」
「デ、デート一回ぃ？」
目を丸くするクラウドをよそに、エアリスはささっと彼の背後に隠れた。
やれやれという風に肩をすくめ、クラウドは前に進み出た。
「どこの誰だか知らないが‥‥いや、俺は知ってる。その制服は‥‥あんたタークスだな。」
「なんだ、お前は？ヘンなヤツだぞ、と。」
赤毛の男――レノは訝しげにクラウドを見た。
「あんたのしゃべり方よりマシだ。」
「うるさいぞ、と。お前に用はない。そっちのお姉ちゃんに用があるんだぞ、と。エアリス、こっちへ来い。おとなしく言うことを聞けば、手荒なマネはしないぞ、と。」
エアリスはクラウドの影から、ベーッと舌を出して見せた。
「タークスのレノ様にアッカンベーをするとは、見上げた根性だぞ、と。」
レノは片手を上げ、兵士達に戦闘態勢に入るよう命じた。
クラウドも背中の剣を抜き、構える。
「待って！ここで戦って欲しくない。花達を踏まないで！クラウド、こっち！」
エアリスは教会の裏手へ続くドアを開け、中に入っていった。クラウドもその後に続く。
「あの男の目‥‥あれは間違いない、魔晄の目‥‥」
レノは別段急ぐでもなく、２人が入っていったドアへ向かって歩き出した。花畑の真ん中を通って。
渡り終えた後、ふと立ち止まる。
「花達を踏まないでね、と。」
自分が通ってきた花畑を見て、少し眉をひそめた。
「レノさん、思いっきり踏みましたよ。」
「花ぐちゃぐちゃですよ。」
「怒られますよ〜。」
兵士達が口々に言う。
「うるさいぞ、と。元からぐちゃぐちゃだったぞ、と。‥‥お前らは踏むなよ、と。」
レノはぶすっとした顔で言うと、ドアを開けて中へ入っていった。
クラウドとエアリスは教会の屋根裏へと続く、ボロボロになって今にも崩れそうな階段を登った。
「いました！あそこです！」
階下にレノ達の姿が見えた。
「逃げるぞ、と！撃て撃て！あ、ダメだ。撃つな！古代種に当たるぞ、と！」
レノが制した時には、すでに兵士達の銃が火を吹いたあとだった。
弾は彼らに当たらなかったものの、エアリスがバランスを崩し、危うく階段から転げ落ちそうになった。寸でのところで、クラウドがその手をつかんだ。
「大丈夫か？」
「うん。ありがと。レノめ、よくもやってくれたわね。見てなさい！」
エアリスは残りの階段を駆け登ると、天井の梁の上に置いてある数個の樽のそばへ行った。
「これで何するか、分かる？」
クラウドを見ていたずらっぽく笑う。
「いい手だ。」
クラウドとエアリスは、共に樽落としにかかった。
「ん？なんの音だ、と？」
レノは上を見上げた。激しい音を立てながら、大きな樽がレノ達めがけて階段を転がり落ちてくる。
「なんかのゲームみたいだぞ、と。」
レノは身軽にひょいとジャンプし、樽をやり過ごした。しかし、兵士達はそうもいかず、樽に追いかけられるようにして、階段を駆け下りていった。
「職場放棄だぞ、と。ったく、役に立たない奴らだぞ、と。」
さらに第二第三の樽が転がり落ちてきた。しかし、それらはもろくなっていた階段のせいで、レノの手前で階段ごと落ちた。
樽の襲撃はおさまったものの、２人を追いかけることが出来なくなってしまった。
「任務失敗。ツォンさんに怒られるかな、と。」
言葉とは裏腹に、レノは悪びれた風もなくくるりと向きを変え、階段を下りていった。
クラウドとエアリスは教会の壊れた屋根の部分から脱出し、スラムのがらくたの山の中を、ピョンピョンと飛び石の上を飛び歩くように渡っていた。
「ふふ。してやったね。樽が落ちてきた時のあの人達の顔、見てみたかったな。」
エアリスは楽しそうに笑った。
「奴らが襲ってきたのは初めてじゃないな？あいつらタークスだろ？」
「そう呼ばれてるらしいね。でも詳しくは知らないの。何する人達なの？」
「神羅カンパニー総務部調査課。別名タークス。主にソルジャーとなりそうな人材のスカウトが仕事だが、神羅の裏の汚い仕事も数多くやっている。スパイ、殺し、いろいろな。そのタークスがなんであんたのところにやってくるんだ？」
「‥‥さあね。あ、もしかして私、ソルジャーの素質があるとか？」
「かもな。なりたいのか？ソルジャーに。」
ソルジャーとは、神羅カンパニー治安維持部門の中核をなす精鋭兵士集団のことである。その能力たるや、一般の兵士をはるかに凌駕すると言われている。先に終結した大戦においても、ソルジャーの投入によって勝敗が決せられた戦いは少なくなかった。
「ソルジャーね。なってもあまり楽しくなさそう。それにあんな奴らにつかまって、言いなりになるなんて絶対イヤっ。」
クラウドは断固として言い放つエアリスを見て、かすかに笑った。
しばらくの間、２人は無言でがらくたの山の中を歩いた。
「‥‥ちょっと待って。そんなにズンズン１人で先に行かないで。」
いつの間にか、クラウドとエアリスの距離が開いていた。クラウドは立ち止まって、エアリスが追いつくのを待った。
「‥‥はあはあ、こっちのペースも考えて欲しいな。息が切れちゃった。」
「おかしいな。ソルジャーの素質があるんじゃなかったのか？」
「もう！うるさいぞ、と！」
エアリスはパンチを繰り出した。クラウドはそれを片手で受け止める。
「ね、あなたソルジャーでしょ？」
エアリスの拳を受け止めたクラウドの手に、一瞬力がこもった。
「‥‥その通りだ。昔の話だけどな。どうして分かったんだ？」
「あなたのその目。魔晄の瞳、だよね。」
「‥‥そうだ。これは魔晄を浴びた者の目。ソルジャーの証。だけど、なぜそれをあんたが知っているんだ？」
「知ってる人と同じ瞳だったから‥‥。その人もソルジャーだったの。あなたクラスは？」
「クラス？クラスは‥‥１ＳＴだ。」
「ふーん。じゃあ同じだ。」
「そいつもクラス１ＳＴなのか。なんて名前だ？知ってるかもしれない。」
「いいの。もう昔の話だし。さ、行こう。もうすぐ家に着くよ。」
エアリスはクラウドを引っ張って歩き出した。
エアリスの家は、伍番街スラムのちょっとした繁華街から、少し離れた場所にあった。彼女の家の周りも、教会と同じく、花でいっぱいだった。
「ただいまー！」
エアリスは元気よく家の中に入った。
「お帰り、エアリス。ずいぶんと遅かったね。」
中年の女性が出迎えた。この人がエアリスの母なのだろうと、クラウドは思った。
「ちょっとゴタゴタがあってね。」
「ゴタゴタって、まさかまたあいつらに狙われたのかい？怪我は？無事なのかい？」
「だいじょぶ。今日はクラウドもいてくれたし。クラウド、これが私の母のエルミナ。お母さん、この人がクラウドだよ。私のボディーガードっ。」
「ボディーガードってお前‥‥。なんだか知らないけど、とにかくありがとうね、クラウドさん。」
エルミナはぺこりと頭を下げた。お茶でも煎れるよと言って、エルミナはキッチンへ入っていった。
「私もまだお礼言ってなかったね。ありがと、クラウド！それで、これからどうするの？」
「ティファの店へ行きたいんだ。七番街にはどう行けばいい？」
「ティファさん？その人、クラウドの恋人なの？」
「違う！そんなんじゃない！」
「そんなにムキになって否定しなくても、いいと思うけど。」
エアリスはおかしそうにくすくす笑った。クラウドはそっぽを向いた。
「まあいっか。それじゃ私が送ってあげる。」
「あんたが？また危ない目にあったらどうするんだ。それに女の手を借りるなんて‥‥」
エアリスの目がつり上がった。
「なに、その言い方〜っ。女をバカにしてるよね。そんな言い草聞き捨てならないぞっ。」
「わ、悪かった。謝るよ。」
クラウドは両手を上げ、降参のポーズをした。
「分かればよろしい。お母さん、私クラウドを七番街まで送ってくるね！」
キッチンから、ティーカップの乗ったトレーを持ったエルミナが出てきた。
「今からかい？もうだいぶ遅いよ。クラウドさんには今日は泊まってもらって、明日連れていってあげたらどうだい？」
「うーん、そうだなあ。うん、そうしよ、クラウド！今日は泊まっていってね！じゃ私、クラウドの泊まる部屋の用意してくるねっ。」
エアリスは二階へと駆け上がっていった。
「あ、おい！‥‥やれやれ。」
クラウドはエアリスの強引さに押され気味の自分自身に苦笑した。
エルミナはクラウドに椅子に掛けるようにすすめた。
「あんたのその目、ソルジャーだね。」
「ああ。だけど、元ソルジャーだ。今は違う。」
「そうかい。でもねえ、あんたには悪いんだけど、出来れば今夜のうちにエアリスには気付かれないように出ていってもらえないかね。元ソルジャーとは言え、神羅の人間だったんだろ？私らはあまり神羅と関わりになりたくないんだよ。」
エルミナは、クラウドのティーカップにお茶を注ぎながら言った。
クラウドは頷いた。元からそのつもりだった。七番街までエアリスに送ってもらえば、自分達のいざこざに彼女を巻き込むことになりかねない。そんなことは避けたかった。
その夜、クラウドはエアリスを安心させるために、ひとまずエアリスの部屋の隣の寝室のベッドに横になった。
クラウドはぼんやりと部屋の天井を眺めていた。眠るつもりはなかったが、一度目を閉じると、瞬く間に夢の世界へと落ちていった。
――かなり疲れてるみたいだな。
「いろいろあったからな‥‥」
――こんなちゃんとしたベッドで眠るのは久しぶりだな。
「そうだな。」
――あれ以来、かな。
クラウドは自分の家にいた。彼が生まれ育った懐かしい我が家。懐かしい自分の部屋。自分のベッド。
体を起こすと、母の姿が見えた。エルミナと同じようにお茶を煎れている母の姿。
「ホントに立派になったわね。見違えちゃったわ。」
母の声は少女のように弾んでいた。
「ちゃんと仕事はやってるの？食事とかはどうしてるの？」
「食事も寝るところも会社が面倒見てくれる。心配ないよ。」
「そうは言っても、やっぱり心配なのよ。母親の気持ちとしてはね。都会はいろいろと誘惑も多いんでしょ？」
「俺は大丈夫だよ‥‥」
「お前は父さんに似ていい男だからね。これは親のひいき目じゃないわよ。寄ってくる女の子も、１人や２人じゃないんじゃないの？」
「別に‥‥興味ないな。」
「あらそう？でもね、もしガールフレンドにするんなら、ちょっとお姉さんで、お前をぐいぐい引っ張っていく、そんな人がクラウドにはピッタリだと思うんだけどね。」
母はそう言って笑った。その笑顔が闇にかき消される。
クラウドは目を覚ました。
「いつの間にか眠っていたのか‥‥。そろそろ行くか。」
クラウドはエアリスに気付かれないように、部屋を抜け出した。物音一つ立てずに、猫のような身のこなしで家の外に出た。
七番街スラムへの道筋は、エルミナから教えてもらっていた。なんとか１人でも行けるだろう。
七番街スラムへ行くためには、まず六番街スラムを通り抜けなくてはならない。クラウドは伍番街と六番街の、二つのスラムの境界となる壁のところまで来た。壁には穴が開いており、そこを抜けるのが近道だとエルミナは教えてくれた。
「お早いご出発ね〜。」
物陰からひょいとエアリスが現れた。
「エ、エアリス。なんで分かったんだ？」
「そりゃもう女のカン、とでも申しましょうか？ひどいなあ、クラウド。黙って行っちゃうなんて。」
「あんたにこれ以上、迷惑かける訳にいかないだろ。」
「私、迷惑だなんてこれっぽっちも思ってないよ。さ、行こう、クラウド。」
エアリスはさっさと壁の穴を抜けて、先へ行ってしまった。
「おい！‥‥なんなんだよ、まったく。」
クラウドは観念したように、エアリスの後を追った。
六番街スラムの鉄くず置き場を抜けると、小さな公園に出た。そこから七番街スラムへ通じるゲートは、すぐ目の前だった。
「わあ〜、懐かしい。あの滑り台、まだあったんだ。」
エアリスは何かの動物をかたどった、滑り台のてっぺんに登った。
「クラウド、こっちこっち。」
滑り台の上からクラウドを呼ぶ。
クラウドは肩をすくめて、滑り台をよじ登った。エアリスの隣に腰を下ろす。
「ホントに懐かしいな〜。小さい頃、ここでよく遊んだの。子供の頃の思い出の場所。誰にでもそういう場所ってあるよね。」
「ああ。そうだな。」
「クラウドの子供の頃の思い出の場所ってどこ？」
「子供の頃の思い出の場所か。俺にとっては‥‥星空の給水塔、かな。」
「星空の給水塔？なんだかロマンチックだね。どんな思い出がある場所なの？聞かせて。」
「そんな大したものじゃない。つまらない思い出さ。」
「いいからっ。聞かせてよ〜。」
エアリスにせがまれて、クラウドは半ば渋々話し始めた。
「‥‥俺はニブルヘイムという小さな村に住んでいた。小さくて平凡で何もない村だった。俺はソルジャーになる決意を固めた日の夜、幼なじみのティファを、村の中心にある給水塔へ呼び出したんだ‥‥」
その日のニブルヘイムの夜空には、星々がひしめき合うように瞬いていた。
クラウドは給水塔のへりに座り、足をブラブラさせたり、星空を眺めたりしてティファが来るのを待っていた。
「おまたせっ。」
振り向くと、ティファが給水塔の上に上がって来たところだった。
「待った？」
ティファは微笑んでクラウドの隣に座った。
「いや‥‥別に。」
ティファはノースリーブのブルーのワンピースを着ていた。彼女のお気に入りの服だった。
「何？急に呼び出したりして？」
クラウドは立ち上がった。
「俺‥‥春になったら村を出て、ミッドガルへ行こうと思うんだ。」
ティファはハッとしたようにクラウドを見上げた。そしてすぐに視線を落とした。
「そう‥‥。男の子達ってみんな村を出て行っちゃうんだね。」
ティファの声には寂しさがにじんでいた。
「俺、ソルジャーになりたいんだ。セフィロスみたいな強いソルジャーに。」
「セフィロス‥‥英雄セフィロスか。」
「俺の憧れだ。」
クラウドは給水塔のさらに上によじ登った。
「でもソルジャーになるのって、大変なんでしょ？」
「そう聞いてる。でも、がんばるよ。きっとソルジャーになってみせる。」
給水塔のてっぺんに登ったクラウドは、再び空を見上げた。この村で一番空に近い場所。星に手が届きそうだ。いや、その時のクラウドは、ジャンプすれば星がつかめると、本気でそう思っていた。
「クラウドがソルジャーになって、有名なすごく強いみんなの英雄になって‥‥その時、もし私が困ってたら‥‥クラウド、私を助けに来てね。」
ティファは独り言のようにつぶやいた。
「はあ？」
「ピンチの時にヒーローが助けに来てくれるの。一度くらいは経験してみたいじゃない？」
「はあ‥‥」
「いいからっ。約束しなさいよ〜っ。」
「分かった。約束する‥‥」
「よしっ。」
ティファはクラウドを見上げて、にっこりと笑った。
「‥‥素敵な思い出だね。」
エアリスはその時のクラウドのように、空を見上げた。プレートに遮られて、何も見えないスラムの空。しかし、エアリスの目には、クラウドが給水塔で見た満天の星空が、はっきりと見えていた。
「そうかな。」
「そうだよ。きっとそのティファさんて人にとっても、大切な思い出として心に残ってると思うな。」
「確かに、俺が手を引こうとした時、その時の約束を引き合いに出してたからな。」
「手を引く？なんのこと？」
「‥‥さて、そろそろ行くよ。案内はここまででいい。あとは１人で帰れるか？」
「帰れない〜って言ったら、どうする？」
「仕方ないから家まで送るよ。」
「それって、なんか変だね。」
「そうだな。」
２人は声を立てて笑った。